宮城共同売店が閉店 交流の場、地域見守り84年


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売店の前で集い笑顔を見せる島の人たち=11月22日、うるま市与那城の宮城共同売店

 【宮城島=うるま】うるま市与那城の宮城島に唯一残っていた、区が運営する共同売店「宮城共同売店」が11月末で閉店した。開業から84年。海中道路の開通で島外での買い物が容易になったことや住民の高齢化による客の減少・赤字に加え、建物の老朽化が進んだのが要因。島の住民からは、交流の場でもある売店の存続を願う声が上がっており、今後は個人商店として引き継がれる予定だ。

 字史によると、宮城共同売店は「宮城共同店」として1929年に開業した。品物が不足した戦時中や「食糧配給所」と化した戦後を経て、55年頃には区の人口が千人以上に増え、那覇まで仕入れに行った時代もあった。78年に火災に遭い、一時営業できなくなったが、すぐに再開した。
 現在の売店は、朝は買い物に来るおばあさんたちの集う場所となる。夕方は仕事を終えたお父さんたちの晩酌の場だ。
 上門シズさん(82)は「独り暮らしが多い中、ここは交流の場。お祝いも不幸も情報を聞く場所」と話す。名城チヨさん(92)も売店は「あってほしい」と語る。
 閉店後は、建物の取り壊しが決まっており、2階の事務所にあった区の資料も回収された。
 長年、店を切り盛りしてきた上門優子さん(53)は「売店では商品の配達もした。地域の人を見守る役目を果たしてきたと思う。この役目を担える場所を何とかして引き継ぎたい」と語った。