上京は家族の意向 故亀次郎氏側近、故国場幸太郎氏


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 故・瀬長亀次郎さんの側近で、1955年の宜野湾村伊佐浜での土地闘争などを支援した故・国場幸太郎さんが60年に政治活動から離れて上京するいきさつを示す資料がこのほど、瀬長さん関連資料を収蔵する「不屈館」(那覇市)から見つかった。

見つかったのは、宮崎県に住む国場さんの父・幸徳さんが瀬長さんらに送った手紙。国場さん上京の理由は、瀬長さんらと対立し「追放」されたとみる説もあるが、家族が病を患う国場さんを案じ、療養目的に上京させたい意向を持っていたことが手紙の内容から明らかになった。
 手紙は5日から不屈館で公開しており、同館は「国場さんの上京にさまざまな言説や臆測があるが、公開資料を見て判断してほしい」と話している。
 見つかった幸徳さんの手紙は58年1月~59年5月までの全6通。59年3月22日付、同28日付では、幸徳さんは次女と相談した結果、次女のいる東京で幸太郎さんは療養した方がいいと判断し、本人が希望すれば東京で復帰運動などの政治活動も可能と考えていたことが分かる。
 不屈館館長で瀬長さんの次女の内村千尋さんは「国場さんも病を患い、父も過労で体調を崩した。その背景に米軍による人権じゅうりんがあったことを、公開資料を通して知ってほしい」と公開の意義を説明した。手紙の公開は20日まで。問い合わせは不屈館(電話)098(943)8374。

土地闘争などで活躍した国場幸太郎さんの父幸徳さんが息子の身を案じ、瀬長亀次郎さんに宛てた手紙=6日、那覇市若狭の不屈館
故・国場幸太郎さん