『流着の思想』 もがきと共にある故郷


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『流着の思想』冨山一郎著 インパクト出版会・3150円

 甘世は、新しい統治制度が到来して初めて誕生するのではなくて、新しい統治制度を獲得していく社会闘争のプロセスの中にある。重要なのは、運動の途上で夢見られる未来の未決性だ。どんな社会闘争も終極の目標を有するが、本書が注視するのは、目標や結末よりも、結末が分からないプロセスの方だ。

 例えば著者は復帰運動に言及する。「運動のプロセスで描かれた未来への夢、あるいはそこに生成したはずの関係性や新たに社会を作り上げていく可能性は、運動の結果として登場する制度的秩序とは一致しない」。運動に加勢した人々の変革への夢が、例えその運動自身が生み落とした新秩序に裏切られたとしても、その夢だけは守られねばならない。
 本書は資本も問う。「軍事占領と経済的自由。この両者が一体となって登場することが、沖縄の近代を考える際の、重要なポイントなのである」。旧慣期論争では封建的遺制による近代日本の沖縄収奪が焦点になったが、遅れたにせよ、沖縄経済は自由化され、糖業生産は拡大した。また生産物が商品として世界市場で流通、交換される限り、資本はその生産様式を問わない。「それらの商品が出てくる生産過程の性格はどうでもよい」(マルクス)のだ。問題はむしろ経済的自由と、それが立ちゆかなくなる危機、ソテツ地獄にある。著者はそこに「戦間期に顔を出し、戦後において拡大する新たな帝国に関わる問題」として現代資本主義を見いだす。「沖縄問題」を構成し、救済と振興を担う国家が誕生するのだ。
 著者はソテツ地獄後の奄美・沖縄の人口流出を産業予備軍に因果付けない。潜在的な労働者が待合室で最初から出番を待っているかのような先取りこそが、資本存立の大前提なのであり、「いまだ労働者ではないというその待機状態を、自然な存在として設定するのではなく、別の世界への端緒として確保することが、ここでは問題になっているのだ」
 ソテツ地獄を経て異郷に流着した人々は、新たに獲得すべき故郷の夢を未来に描き出す。故郷は終極点ではなく、苦世から脱出しようとするもがきと共にある。それは自己と他者の関係が変容し、未来に向かって社会が動き出す契機でもある。
 (金城正樹・コーネル大学博士候補生)
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 とみやま・いちろう 同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教員。著書に「戦場の記録」「暴力の予感」など。