『島影 慶良間や見いゆしが』 「島が見えるか」自問


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
『島影 慶良間や見いゆしが』 大城貞俊著 人文書館・2600円+税

 巻頭詩と小説四篇(へん)が収められ、著者の作品集上巻となっている。
 表題作的な「慶良間や見いゆしが」は、慶良間のN島での戦争の記憶に長く苦しみ、ある苛烈な行動を取った老人の思いが、中年になった孫の言葉を借りてたどられていく。「慶良間や見ゆしが睫毛や見いらん」、遠いものは見えるが身近なものには眼が届きにくいという沖縄の古い表現を転倒させ、慶良間という現存のものは眼に見えるが、人々は「イクサ」をもう見ようともしなくなっているのかという祖母の声も振り絞られていく。

 「彼岸からの声」では、表題通り死者となった元「高」生まれの少女の声が、やはり「サーダカ」=セジダカとされ、戦時の遺骨収集を自分に迫る声に逆らえないで悩んでいる沖縄男性に届けられ続ける。目取真俊の「面影と連れて(ウムカジトゥチリティ)」やその他の作を想起させる面もあるが、声を受け取る側の、沖縄の現時点からの呼応が交差するかたちとなっているのが強い印象を残す。
 「ペットの葬儀屋」では、繰り広げられる社員や知人たちの男女関係をもつれる糸のように描きながら、中心人物の青年や女性たちの焦りやけん怠とともに、沖縄の人々の経済にねっとり絡む軍用地のありようも語られる。
 「パラオの青い空」はある種、悩ましい小説だ。第2次大戦前にパラオに夫婦で移住し、沖縄に戻って約60年後に再訪する老女の語りが中心ではある。しかし彼女にある設定がなされているため、例えば彼女の夫がなぜ、どうやって行動したのか、地元パラオの人々と実際にどんなトラブルがあったのかなどが判然としなくとも、作品として破綻はしないのだ。仕掛けとしていささか納得できない部分はあるとはいえ、文学テキストの記述として非常に興味深い戦略であると思う。
 巻頭の詩にある「島が揺れている」「島が見つめている」に続く「島が見えるか」の問い掛け。それは自問でもあり呼び掛けでもある。本書の諸作品は、その問いとそれへの応答の試みの、静謐(せいひつ)かつ執拗(しつよう)な足跡だと痛感した。(宮城公子・沖縄大学教員)
………………………………………………………………
 おおしろ・さだとし 1949年大宜味村生まれ。琉球大学教授。詩人・作家。主な著書に詩集『夢・夢夢(ぼうぼう)街道』、評論『沖縄・戦後詩人論』など。

島影 慶良間や見いゆしが―大城貞俊作品集〈上〉
大城 貞俊
人文書館
売り上げランキング: 913,602