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詩誌『あすら』で読み継いでいた詩のイメージと詩集として編集されたものではまた別物のような印象を受ける。編集という作業を経て別の生命体が誕生したかのようだ。詩集『我が青春のドン・キホーテ様』はおおむね旅にまつわるものと、身辺にまとわりつくものとの二つの群に分けられる。通底しているのは沖縄にのしかかる歴史的な重圧へのスタンス性だ。
旅はスペインとその近隣の地中海世界だが、とりわけ痩せ馬ロシナンテにまたがったドン・キホーテのスペイン・バロックから、スペイン半島戦争時のゴヤ、スペイン内戦時のロルカ、ピカソのゲルニカまでの苛烈な狂気と闇と覚醒と、沖縄の戦争、それをめぐる今日までの闇を切り結ぼうと詩の営為を重ねている。
ミゲル・デ・セルバンテスの世紀はオスマントルコ軍をレパントの海戦で破ったスペインの栄光とイギリス艦隊によってスペイン無敵艦隊が粉砕されるという挫折の世紀であり、その中から『ドン・キホーテ』が誕生した。
ナポレオン軍のスペイン侵略とそれに対する激しい抵抗運動はゴヤの殺りくに対する断末魔の連作エッチングなどに込められている。私は、ロルカについてはまだ胸が締め付けられ、よく語れない。うえじょう晶はプラド美術館のゴヤのサトゥルヌスと次のように沖縄戦とを重ねる。「わが子を喰い殺すサトゥルヌス/見開かれた眼の狂気は/あの時の父/あの時の兄/あの時の二等兵/そして、瞬時に変心する/いつの日かのわたし」
「ぼく」という語り口で安里の「裏山」(現・おもろまち)が語られる「庶民の歴史」は身辺にまとわりつく世界を、カメジローやフェンスの向こうの米軍基地跡を織り込みながら、フェンスが普天間基地のフェンスへとオーバーラップしていく。「荷馬車が走っていた真嘉比の道は/どこに消えたのか/もうわからない」というそのマカン道は米軍が撮影した空撮には確かに白い道筋として残っていたが、今は街並みに消えた。こうした何気ない地誌の中にも塗り込められた傷痕がむき出しにされている。(仲本瑩・詩人)
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うえじょう・あきら 那覇市生まれ。詩集「カモメの飛び交う街で」や「日常」を発表。季刊詩誌「あすら」同人