『竹富町史第5巻 新城島』 苦難乗り越えた先人の知恵


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『竹富町史第5巻 新城島』竹富町役場・3000円+税

 本書は、竹富町史の「島じま編」シリーズの1冊で、竹富島編、小浜島編に続く3冊目である。自然、歴史と伝承、教育、信仰と祭祀(さいし)、交通・通信・情報、保険・衛生など全16章から構成される700ページ余の大著であり、島の歴史をまるごと記録化するという関係者の意気込みが伝わってくる。

 民俗学を専攻する評者にとって、三大行事とされる豊年祭、節祭、結願祭についての詳細な記述には学ぶべきものが多々あった。結願祭は、明治の中頃に役人たちが芸能を楽しむために始めさせたという伝承は、民俗を政治との関わりで考える際の好材料になるだろう。近世に新城島にのみ課された王府への貢納物としてのザン(ジュゴン)についても、ザンの骨を祀(まつ)る御嶽の存在が関心を引いたが、捕食対象であるザンが、一方では「海(航海安全)を司(つかさど)る」神的存在でもあったという指摘にはかつもくさせられた。
 通読して強く印象に残ったのは、島が歩んできた過酷ともいうべき歴史である。1771年の大津波による壊滅的な被害、水と農地に恵まれない島ゆえの近世以来の西表島に舟で通っての農業、1940年から始まる西表島の南風見開墾事業と戦争による頓挫、戦後の南風見への集団移住、1963年と1971年の大干魃の時の苦難、1964年の下地島の廃村とそれにちなむ「神別れの御願」の実施など、それこそ枚挙に暇のないほどの苦難の歴史が記録されている。西表島を望む浜での海のかなたから豊穣(ほうじょう)を迎える祈願の際に、西表島の古見岳にかかる雲の状態によって来年の豊作を占うことや、生後間もない赤子に石垣島の於茂登岳を見せるというウムトゥミーは、島の苦難の歴史の中から生みだされ、受け継がれてきた特徴的な習俗かと思われた。
 本書に記された島の先人たちが苦難を乗り越えつつ歩んできた歴史と、その中で培かわれてきた島で生きるための知恵が、新城島のみならず、多くの困難を抱える沖縄の島嶼社会にとって、未来を展望するための指針として活用されることを期待したい。(赤嶺政信・琉球大学法文学部教授)