『松山王子尚順全文集』 近代沖縄を生きた王子の記録


社会
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『松山王子尚順全文集』金子豊編 榕樹書林・3700円+税

松山王子尚順全文集 (沖縄学研究資料)

 この著作は、最後の琉球国王・尚泰の四男・尚順が残した文章(随筆・散文・日記・琉歌・漢詩)、談話・説話、書簡資料を丹念に網羅した初めての全文集である。
 琉球は一つの国として歴史を刻んできた。その社会のありようは実は多様で、明確な社会階層が存在し、言語・衣・食・住などの生活文化および教養は違いも少なくない。つまり長い琉球史の中で王族文化を体現化し語れる層は限られている。

 尚順は1893年に琉球新報を21歳で設立、その後、貴族院議員も経験、沖縄銀行や亜熱帯の植物園・桃原農園を設立し、沖縄広運事業などを展開しながら観光化のビジョンを実践した実業家でもある。
 首里城に暮らし、王国の終わりの記憶を持つ経験とともに、旧と新の最前線で近代沖縄を生き抜いた王族・尚順の世界は特別で、その記録性の意味でも価値が高い待望の文集である。
 「無類の趣味人」と称された尚順の芸術領域は、琉歌・俳句・漢詩の文学、書画、陶器、芸能、乗馬など王府時代の王族・首里士族の男性たちの琉球・日本・中国文化を視野に入れた教養が基礎にある。それに個人の趣味多き資質が相まって近代の芸術領域も加わり独特に熟成された。
 また「驚異の美食家」「グルメ男爵」としても有名で、泡盛や食を語る文章の随所でその誇りあるこだわりに触れることができる。同時にそのこだわりは、来沖した著名人たちを接待交流する場で豊かな琉球文化として表出され、交流のあった柳宗悦や藤田嗣治などの文化人をも魅了している。
 「芸術の興廃は時代を反映」し、「社会の需要者の眼識が高ければ供給者たる芸術家の作品も向上する」芸術観を持つ尚順のこの言葉は、今日を生きる私たちの沖縄文化認識や、誇りある独特の教養文化を共有熟成させているかと鋭く問うてもいるようだ。(粟国恭子・大学非常勤講師)
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 かねこ・ゆたか 1938年横浜生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、文部省図書館職員養成所を経て東京大学工学部や同大総合図書館に勤務。93年に琉球大学付属図書館部長。97年から武庫川女子大学学部教授(図書館学)を務め、2005年に退職。著書に『尚順拾遺集』など多数。