1970年、海兵隊に沖縄撤退論 米機関誌が掲載


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 1970年代中盤、米海兵隊内部で、政治的抵抗などを理由に在沖米海兵隊の撤退や代替案の提案が積極的に行われていたことが23日までに分かった。海兵隊の機関誌「マリン・コー・ガゼット」(76年2月号)が、将校らの論文を掲載していた。

同誌によるとほかにも、米上院軍事委員会が75年、当時の国防長官に対し、在沖海兵隊駐留を含む軍事政策の代案を調査するよう要求していた。
 沖縄本土復帰の72年に米国防総省が在沖海兵隊基地の米本国統合を検討していたが、海兵隊を中心に米側で、それ以降も引き続き議論があった。国立国会図書館で同機関誌を入手し、分析した沖縄国際大の野添文彬講師は「海兵隊が70年代を通して基地の在り方を模索し、オルタナティブ(代案)がいろいろ考えられていたことが分かる」と指摘した。70年代に海兵隊を引き留めていた日本政府と対照的な姿勢がより鮮明になった。
 同誌は「西太平洋の洋上移動部隊」と題する海兵隊中佐の論文を掲載。海外米軍基地に対する政治的抵抗がある地域として、スペインやトルコ、フィリピンなどとともに沖縄を挙げた。
 第2次世界大戦以降、兵力の能力向上があったことを指摘し「沖縄や日本における第3海兵師団や第1航空団などの地上基地の配備よりも海上拠点の配置が特に重要だ」と主張した。
 その上で一つの歩兵大隊を沖縄に残し、残りをハワイと米本土から6カ月のペースで洋上へローテーション展開することを提案。沖縄に残る歩兵大隊もこの巡回に組み込むとした。
 同誌は海兵隊少佐の「沖縄からの撤退」と題する論文も掲載。海兵隊の沖縄や本土への配備について(1)13カ月の長期駐留で兵士の質に問題が生じる(2)沖縄で高額の駐留費用が掛かる(3)西太平洋地域に関わる兵員数の増大が即応力に有益でない―などの問題点を挙げた。問題解消のため、沖縄と日本本土から全ての海兵隊を撤退させ、メキシコ湾岸地域の既存の基地への配備を提案した。
 米側で出ていた在沖米海兵隊の撤退や代替案の議論について、野添氏は、その後、収束していったとの見通しを示した。その上で「(在日米軍の駐留経費を日本が負担する)思いやり予算が出てきたことで、米側に沖縄で基地を置き続けていいという認識が強まった可能性がある」と指摘した。(内間健友、島袋良太)