【島人の目】又吉喜美枝/語る、フランス人


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 私は、フランスの大学の文学部に在籍したことがあるが、学期末の試験は全部記述式であった。
 試験で、ルネサンス期の古フランス語の詩が5行ほど出てきて、「分析せよ」「論評せよ」という問題が出題されたことがあった。「ドヒャー」となって、知っている単語を駆使して書き上げた。それでも3枚が限度だ。しかも大きな文字で…。しかし、こっちの人(つまりフランス人)は、たった数行の詩に対しても、小さな字でぎっしりと10枚ほどに仕上げていた。ま、彼らの国語だから当然といえば当然だが。
 こうやって“雄弁に”書くことが学校教育でなされており、自分の意見を堂々と言うことが幼少のころから訓練されている。だからフランス人は、語る、解説することが好きである。
 彼らは、極東の南の島の文化を初めて見ても、おくすることなく、それについて語ってくれる。「うーんそうか」と、こちらがうなることもある。沖縄の若者がシーサーの個展をパリで開いたとき、見にきていたフランス人の女性の感想を聞いたら、「あの目、何かを訴えている。吸い込まれそう。いったい、あの目は何を言いたいのだろう。メデューサのようだわ」と言っていた。
 琉球舞踊の公演のときも、私のそばに座っていた女性は、それぞれの演目が終わったあとに、自分の感想を熱く語った。
 パンフレットに説明があったので、要点はつかんでいる。「かぎやで風」を見終わったあとには、「動きがゆっくりでしょう。だから、お年寄りが踊るというのもよくわかるわ」と言う。
 私は「なるほどそういう見方もあったか」と思った次第。
(フランス通信員)