第二の人生駆ける 車いす陸上・喜納さん運動中事故から再起


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初めての試合に向けて練習に励む喜納翼さん=2月、金武町陸上競技場(渡慶次哲三撮影)

 沖縄の障がい者スポーツ界に、期待のホープがいる。喜納翼さん(23)=うるま市=はバスケットボールの沖縄県代表に選ばれた経験もある。運動中の事故が原因で現在は車いす生活を送る。昨秋から始めた車いす陸上競技にのめり込み、20日には熊本県である大会で初めて試合に出場する予定だ。相棒をバスケットシューズから車いすに替え、新たな人生を駆ける。

 小学4年でバスケットを始めた喜納さん。ゴール下を担うセンターとして活躍し、具志川東中2年時とコザ高3年時には県代表メンバーに入った。事故に遭ったのは沖国大生だった19歳のころだ。部活動後に自主練習をしていて、約120キロのバーベルを肩に乗せたまま体勢を崩し、胸椎(きょうつい)を骨折。おなかから下が動かなくなり、車いす生活を送ることになった。
 だが、喜納さんが絶望することはなかった。「車いすで生活する人は世の中にいっぱいる。自分にできないことはない」。小学5年から中学まで、大腸の粘膜に慢性的な炎症が生じる疾患を抱えながらバスケットを続けた経験があり、「その時に比べれば精神的なきつさはなかった」とも語る。事故から10カ月後には、母が手作りした振り袖を着て成人式に出席した。
 陸上は「新しいことをやってみるのもいいかな」と軽い気持ちで始めた。競技用の車いす「レーサー」をこぐうち、風を切る爽快感や、技術を磨くほど速くなる楽しさにのめり込んだ。現在は、会社員として働く傍ら、障がい者陸上の活動を支援する「ソア沖縄陸上クラブ」で練習に励む。173センチと国内女子には数少ない長身選手で、将来も期待されている。
 「自分が障がい者だと意識したことはない。けれど車いすになってから、人のさりげない優しさが響くようになった」と喜納さんは言う。事故があった3月24日をもう一つの「誕生日」だと言い、「第二の人生ではまだ5歳なんです」と屈託なく笑った。(大城周子)