『卑弥呼コード 龍宮神黙示録』 沖縄民衆思想の再興


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『卑弥呼コード 龍宮神黙示録』海勢頭豊著 藤原書店・2900円+税

 奈良の山戸の小さな村で生まれた娘の物語である。
 あえて一言で言うと、間違いなくそう言えるのだが、その娘が、卑弥呼だということになると、がぜん、話は面白くなってくる。しかも、それが歴史書などでは決して知ることのできない卑弥呼であるということになると、面白いどころの話ではない。それぞれの歴史観の再検討を迫られるものとなってくる。

 物語は、生地山戸の村で難に遭い、両親を失った娘が、父親の交易していた地、母親がいまわの際に口にした倭及奴へ渡り、久高島で数年、修業することから始まる。その後、再び故郷に戻り、乱が続いて荒廃著しい国を平定し、和を取り戻した後、そのことを報告するため再度沖縄を訪れた、その足跡を追ったものである。
 山戸から倭及奴へ、そして倭及奴から大和へと往復する卑弥呼一行の姿もそうだが、そこには、さらにあと幾つも歴史書などでは到底目にすることのできない記述が出てくる。例えば、イスラエルの民が、倭国建国以前に沖縄に住み着き「倭及奴という楽園を築いていた」ようだといったこと、さらには第一尚氏の祖となる鮫川大主の来歴を倭国、宿毛、大月邑を経て沖縄へといったように、伊是名以前から説きだしていることなどそうだ。だがもちろん、そういったことを論じていくには、確かな論拠がなければならない。論拠の鍵をなしていくのは三つどもえの紋であり、勾玉(まがたま)であり、サンであり、ジュゴンであり、古謡であり、祭式であり、琉球語などであるが、問題は論の当否を超えて、なぜそのようなことを説くに至ったかということにあろう。
 新基地建設、自衛隊配備といった日米の「真振り」を失った者たちの計画に屈すると、今度こそ沖縄は確実に壊滅するという事態が切迫する中で、そうならないためになさねばならないのは、卑弥呼の「世直し」を再考すること、すなわち卑弥呼の「世直し」に「真振り」を入れた沖縄の民衆思想を再考し、再興する以外にはないとする純な思いの発露にあったといっていいだろう。(仲程昌徳・琉球大学元教員)
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 うみせど・ゆたか 1943年うるま市与那城平安座島生まれ。音楽家。代表的な歌に「喜瀬武原」「月桃」「さとうきびの花」など多数。ジュゴン保護キャンペーンセンター代表を務め、2008年に国際自然保護連合のフォーラムでジュゴン保護をアピールした。

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海勢頭 豊
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