【読谷村ウイーク2014】地域づくりフォーラム/「村民協働の『日本一の村』づくりを目指して」


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4万人の英知 輝く村に
 【読谷】新報移動編集局「読谷ウイーク」(主催・読谷村、琉球新報社)の地域づくりフォーラム「村民協働の『日本一の村』づくりを目指して」が25日、読谷村文化センター鳳ホールで開かれた。約350人の村民が参加し、石嶺伝実読谷村長の基調講演や各分野のパネリストによる討議を通して、読谷村の村づくりの在り方を考えた。ことし1月に「日本一人口の多い村」になった読谷村。パネル討議では、商工会や観光協会など、村内各団体が入居する「地域振興センター(仮称)」整備や海外での物産展開催など地域活性化のアイデアが出た。村づくりの経験を基にさまざまな意見が交わされたフォーラムの様子を紹介する。(文中敬称略)

<読谷の魅力>
「焼き物の里」に可能性 松田
都会でも田舎でもない 國吉
期待される農業生産地 大城
村の地域性に固執して 岡崎

 司会 読谷の魅力、強みはどこだと考えるか。
 石嶺 読谷村は人材が豊富だ。各自治会が自立して活動し、各団体の活動も活発だ。時には連携した事業ができる。今後もこの強みが発揮されると期待している。
 松田 壺屋焼や読谷山焼など焼き物の歴史がある。喜名焼は600年以上の歴史があるといわれる。村は横のつながりが強く、コミュニティーがしっかりしている。読谷は村政と民間が一つになり、「焼き物の村」を目指してきた。地の利を生かして、広大な土地で煙を上げているが苦情はない。県外や外国では登り窯が禁止されるなど減っている現状がある。窯が多い読谷は焼き物の里として誇れる場所、可能性を秘めた地域だ。
 國吉 読谷は豊かな自然、多様な歴史文化、伝統芸能、観光資源が多彩な場所だ。行政主導の地域づくりで、やちむんの里整備、読谷山花織の復活、座喜味城跡の復元などがされた。読谷は那覇から遠くなく、近くもない。都会でもなく田舎でもない。それが読谷らしさだ。
 大城 戦後、長浜区が読谷の第1次産業の起点になった。米軍基地があった残波岬周辺から楚辺に向けての広大な土地改良区でサトウキビが増産され、紅イモの栽培も始まった。米軍読谷補助飛行場跡地は現在、最も魅力のある農業の生産地だ。県内外から期待されている農地だ。今後、地域振興センターの整備で村づくりの拠点になる。給食や民泊で、読谷のおじー、おばーが農業や読谷、沖縄の歴史を子どもたちに教えている点も強みだ。
 岡崎 村でとどまり、村としての根っこを持っていることが読谷の魅力だ。その中で人口が4万人を超えた。村は人がつながり、協力する良さがある。地域で生まれ育った人は地域の特性、個性、雰囲気を背負って生き、「ここで生まれた」という思いから一生離れられない。村という地域性に固執してほしい。

<取り組みと課題>
持続性ある農業と文化岡崎
紅イモに次ぐ特産品を國吉
新ブランド創出へ構想大城
交流と個々の力活用も松田

 司会 これまでの取り組みや課題について伺う。
 松田 やちむんの里は昔、米軍の不発弾処理場だった。少年のころ、村民が土地の返還を求めて座り込みをした。行政や地域が懸命に取り組む中で、焼き物をやりたいという自分の夢も現実となった。村民とのつながりの中で生かされていることを実感している。
 焼き物をやる村民が少ないことが課題だ。読谷山では北海道から鹿児島まで、25人の県外出身の青年が汗を流している。村民を巻き込んで課題に取り組みたい。
 焼き物以外の空間を生かした遊びもできるのではないか。OIST(沖縄科学技術大学院大学)の学者との交流の話も進んでいる。焼き物を作ることだけでなく、それに付随するものがいっぱいある。それを活用し、村の活性化、個人の中に眠っているものを呼び起こしたい。
 大城 2006年から教育委員会と農業推進課と一緒になって、食育に取り組んできた。商工会や企業にお願いし、規格外で売れない農産物を加工品に回したり、給食に使ってもらったりした。
 JAおきなわ読谷ファーマーズマーケット「ゆんた市場」の開設時には地元の村民を採用する形で雇用も生み出した。08年からは食育事業を進め、小学生に体験学習などもしている。
 日本一の読谷村の新しいブランドをつくろうという大きな構想がある。これまでトウガンを使ったパイやカレーを作った。紅イモで作った商品も50種類、100種類とある。
 課題については、地域振興センター(仮称)の話があったが、子どもたちに文化財や伝統芸能を披露させたり、お年寄りに参加してもらったりと、そういうイベントをしたい。
 國吉 商工会では1986年に紅イモによる地域おこしを始めた。本当に売れるのかという半信半疑の中でのスタートだったが、シンポジウムの開催を通じ、紅イモにこだわった特産品を提案してきた。その結果、読谷を代表する特産品になった。
 地域おこしは人材育成が大切だ。91年にスタートした「ユンタンザ村おこし塾」は多くの塾生を輩出し、座喜味城跡での映画祭や「高志保大通りエイサー天国」など、いろんな仕掛けをつくった。
 観光施設「むら咲むら」も塾の1期生で立ち上げた。現在、就学旅行を中心に約23万人が訪れている。今後も観光の基盤として取り組む。FMよみたんも、村おこし塾3期生によるものだ。
 紅イモに次ぐ特産品の新たな開発が課題だ。人材育成の継続が途絶えているところもあるので、それを継続していきたい。
 石嶺 各団体が一生懸命やったことが本物になっている。読谷山焼という本物の伝統工芸を継承してきたし、紅イモの開発もいろんな方が取り組み今に至っている。たくさんの地域資源がある。やる人がしっかりやり切っていけば成功していく。行政も含めて共に取り組んでいく。
 岡崎 読谷村は復帰時点でも多くが米軍基地のままだった。非常にシビアな、対米軍・防衛施設庁の土地奪還運動をしながら、厳しい村づくりをやってきた。それを乗り越えたからこそ、非常におおらかな西側の海岸線沿いの大規模なリゾート施設を誘致するなど、村づくりの骨太さがある。
 役場周辺の返還された飛行場を見事に農地に変えた。立派な文化施設も周辺にあり、村民の活動拠点として拡充されている。読谷の魅力は「経済性に裏付けされた農業地域」であることだ。農業と文化の村づくりには持続性がある。
 今、全国で最も先端的で外部からいろんな視察を受け入れている自治体が徳島県神山町だ。町では自分たちのことを「創造的過疎地域」と呼んでいる。海外から最先端のアーティストを村に受け入れ、さまざまなアート作品を村の中に残そうという新しい生活空間をつくっている。
 そこと違った方向性もあるが、読谷が農業を基盤に据えながら、それを現代的に翻訳して、社会の中に位置付けていることは評価しなければならない。日本のモデルとなる側面を持っていると認識している。

<今後の村づくり>
ものづくりへ情報発信 松田
農家育成や食育を実践 大城
「泰期」活用し経済振興 國吉
変わらない個性も重要 岡崎

 司会 今後の取り組みについて具体的に伺いたい。
 石嶺 日本一の村ということで年末年始からいろいろな企画をしてきた。身の丈にあった、地に足が着いた地域づくりをしていきたい。
 読谷補助飛行場跡地の農地には、来年には長浜ダムから給水設備が整備される予定だ。干ばつにも台風にも強く、しっかりした農業ができるようになる。農業生産法人の皆さんにも頑張ってもらい、行政は営農指導などをしたい。
 県外、国外との観光・物産交流の話もある。現場を見ながら積極的に取り組みたい。琉球大との包括連携協定に加え、ハワイ大との交流など環太平洋地域にある自治体としてもっと何かできないかと希望を持っている。
 松田 読谷村には畑、海、花織、紅型など多くの魅力がある。それを利用し、豊かに生活の中に取り込んでもらうようにしたい。「ものづくりが、文化のレベルが街のレベルを決める」という言葉がある。私たち一人一人が良い物をつくることに鍵がある。その一つの方法に情報発信がある。今はITが発達している。やちむん屋は技術が漏れないように閉鎖的な文化があったが、秘密にせずに開示し、情報を出したい。
 大城 子どもたちの教育や兼業農家、女性、定年後の農業者の育成・支援に取り組みたい。食材への理解を深めるため、食育、食農体験を実施したい。
 ゆんた市場は600人近くの生産農家と顔の見える関係をつくり、安心安全な農産物を提供している。それを学校給食につなげたい。加工については、JAの女性部が読谷産の食材で新商品を開発する事業を始める予定だ。
 良い農産物をまとめて選別できる集選果場ができた。同じ物、良い物を農家に作ってもらい、市場に高く出していく。村、県、国の補助事業で農産物をパッキングする設備を導入した。農産物をパッキングして地元のスーパーで売れるようにしたい。
 國吉 商工会は昨年に40周年を迎えた。前半は紅イモによる地域づくりをした。20年前からさらなる地域おこしの起爆剤として、「読谷まつり」の主人公である村の偉人・泰期を商売の神様として象徴化した事業が進む。読谷村の奥座敷である残波岬にも銅像を建てた。泰期を活用し、経済効果をどう生み出すかが大きな課題だ。
 日本一の称号を活用し、各事業所に「泰期おすすめの一品」をぜひ提案してもらい、商工会を挙げて泰期ブランドとして宣伝したい。
 泰期が14世紀に中国に渡り最初に貿易したという勇敢さや商売の意識を尊重し、オール読谷で海外展開のきっかけをつくろうとしている。当然、地域間競争を意識している。読谷ブランドの確立を急ぎたい。
 司会 4人の話を聞き、アドバイスや感想を。
 岡崎 ブランドは非常に重要だ。地域のブランド戦略で一番被害を受けたのは、北海道夕張市の夕張メロン。他地域から出る夕張メロンを排除できず、毎年数億円の損失があった。
 先日、かつて地域おこしで交流のあった石垣島を5年ぶりに訪れた。八重山は戦後、もっとも沖縄らしい沖縄を残していた地区だが、市街地は本土と遜色ない景観になっていた。戦前、柳田国男など日本を代表する民俗学者や民芸研究者が大きな衝撃を受けた沖縄の風景、風土が消えている。非常に残念だった。
 ブランドはもともと、馬に押した焼き印を意味する。読谷ブランドとは、固くて変わらない読谷の個性だ。さまざまな物があふれる中、統一的なイメージをどうつくるか、沖縄本島の中で本来の沖縄らしさをどう取り戻し、読谷がどういうブランド性を持つか、大きな分岐点に差し掛かっている。

<地域振興センターへの期待>
6次産業など推進 國吉
有機的組織連携を 岡崎

 司会 地域振興センターが今夏には着工する。その期待については。
 石嶺 これまでも村は役場、商工会、JA、漁協を含め、垣根のない組織で顔の見える付き合いをしてきた。同じ屋根の下で企画、アイデアなど各自が持つ情報を瞬時に共有できる。他の自治体にはない大きな可能性がある。
 國吉 各団体と連携しやすくなり、農商工連携や6次産業化などを、スピード感を持って展開できる。情報の共有や発信ができ、まさに観光振興を強力に推進できる場所になる。センターには国道58号から1分以内で入れるので、北部に行く前に立ち寄る場所、一度入ったらもうちょっと読谷を見たいと思わせる役割を果たしてほしい。
 大城 これまで窓口が複数あった農業体験の申し込みなどはセンターでまとめられると思う。村内各団体を全部網羅した「読谷まつり」の運営方式をそのまま取り入れた組織体をつくらなければ厳しい。プロジェクトチームや6次産業化会議などを開けば、やっていけると確信する。
 司会 センターの構想についてどう考えるか。運営上の注意点があれば聞きたい。
 岡崎 この時代に、一つの村で10億円規模の大きな施設が新たにできるのは全国でも希有(けう)なことだ。ぜひ頑張ってほしい。団体が入居するのは簡単だが、組織が有機的にどう関わるかが問われる。大きな事業でなくても良い、各組織を横串に刺すような事業をどんどん取り入れる必要がある。それにより初めてセンターが意義ある有機的な存在として読谷の将来を切り開くことにつながる。

<住民とのつながり>
伝統語り継ぐ役担う 松田
土に触れ健康づくり 大城

 司会 今後の村づくりで、村民とどのようにつながっていくか。
 松田 手を抜かない「本物のものづくり」が伝統を守り、地域と共に生きることにつながる。生活の中に焼き物を提供しながら、読谷の伝統を語り継ぐ役割を担いたい。
 大城 子どもたちに土いじりをしてほしい。花や食べ物を育て、自分で口にしてほしい。高齢者もゲートボールだけでなく、「あたいぐゎー」(家庭菜園)もしっかりやることで、健康になってほしい。
 國吉 村民が自慢できる「泰期おすすめの一品」を作りたい。クーポンなどを付けた読谷版の「タウンページ」をつくり、商工会を身近に感じる環境を整えたい。観光客に対する村民のおもてなしの心を醸成する。住んで良し、訪れて良しの村を目指したい。
 石嶺 村外・県外から多くの人が来て人口が増えた。4万人も村民がいると、従来の「読谷まつり」だけでは拾えない部分も出てくる。近代音楽などを主体に伝統芸能でない新たな文化を創造し、コミュニティーを形成できる仕組みをつくりたい。
 岡崎 外からプロスポーツチームを引き受けるのももちろんだが、村民がスポーツにどう主体的に取り組むかも大事だ。ソフトボールなどは既に取り組んでいると思うが、レベルやハードルを下げ、さまざまな人が参加できる場をどんどんつくってほしい。

<討論の最後に>
 司会 最後にまとめの一言を。
 大城 読谷村の活性化に向けて、関係団体がしっかりスクラムを組んで、チームワーク良く、コミュニケーションをしっかりとっていきたい。
 國吉 日本一の称号を頂いた。これからは沖縄でなく、「読谷に行きたい」と言われる村にしたい。
 松田 読谷村はやちむんの村として先端を走っている。本物の焼き物を作れるよう今後も頑張りたい。村内にある60近くの窯場とも連携して焼き物を作れたらいい。
 石嶺 これからも村民と共に創造、協働、感動の村づくりをしたい。子どもからお年寄りまで「読谷に生まれて良かった、読谷で暮らして最高だ」と言われる村へ向け、村民協働で頑張りたい。
 岡崎 かつて2600あった町村が現在、970程になっている。ぜひ、最後の一つになっても村でいてもらいたい。

【パネリスト】
岡崎昌之氏(法政大学教授)
國吉眞哲氏(読谷村商工会会長)
大城芳光氏(JAおきなわ常務理事)
松田米司氏(読谷山焼北窯陶工)
石嶺伝実・読谷村長
司会 松元剛・琉球新報社編集局次長

※注:岡崎昌之氏の「崎」は、「大」が「立」の下の横棒なし

「日本一の村」づくりについてパネリストの意見に耳を傾ける参加者たち=25日、読谷村文化センター鳳ホール
岡崎 昌之氏
國吉 眞哲氏
大城 芳光氏
松田 米司氏
松元剛・琉球新報社編集局次長