『我、遠遊の志あり―笹森儀助風霜録』 人物像たどる貴重な資料


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 笹森儀助の「南島探験」に出合った時、大きな衝撃を受けた。こういう人物が明治期にいたこと、それも遠隔の地・青森から日本西南端の島々へ熱病マラリアや毒蛇ハブの恐怖を押して踏査行をしたことなどに驚いた。

 沖縄、宮古、八重山の島や村を歩き、そこに住む人々の状況を捉え、鋭く訴えた内容は、宮古、八重山に260年間続いた人頭税廃止の大きな力にもなっていく。宮古、八重山にとっては旧慣温存制度により、人頭税も続行したため苦悩が残っていた。笹森はこのような現実に直面し、その理不尽さを書きつらねている。
 私自身、30歳ごろまで笹森を知らなかった。それが「南島探験」をきっかけに、その名が脳裏から離れなくなり、笹森が以前に書いた「千島探験」や、後に奄美大島島司、朝鮮学校校長、青森市長などの経歴を断片的に知ることになった。時を経て柳田国男の記述や、谷川健一、東喜望、佐々木利和の各氏らと接する中で、少しずつ笹森儀助像の内容が密になってきた。
 このたび出版された「我、遠遊の志あり―笹森儀助風霜録」は、第一章・おいたち、役人時代、第二章・農牧社時代、第三章・貧旅行、第四章・「千島探験」、第五章・「南島探験」、第六章・奄美大島時代、第七章・大陸時代、第八章・市長時代、晩年、第九章・対談―笹森儀助の思想と、緻密に構成されている。略年譜まであって、笹森を知る貴重な資料だ。
 ひと頃はいざ知らず、現在、笹森儀助の名を知っている人は激減しているといってよい。沖縄はもとより青森でも同じような現象がみられるという。
 破格のスケールで活動してきた歴史的な功績への認識も薄れつつあるのだ。このような趨勢(すうせい)の中で、われわれはいま一度、不思議なエネルギーを持って生きてきた、希有(けう)な人物・笹森儀助像をたどってみてはどうだろう。
 (石垣博孝・石垣市文化財審議委員)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 まつだ・しゅういち 1955年生まれ。東奥日報社・編集委員室長。北海道大卒。東奥日報社の社会部長、編集局次長などを経て現職。

我、遠遊の志あり: ―笹森儀助 風霜録 (ゆまに学芸選書ULULA)
松田 修一
ゆまに書房
売り上げランキング: 591,029