【島人の目】同性愛者の人権


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 日本語を教えている女子高生から「私は同性愛だ」と告白された。さらに男子大学生からも「僕は男の人しか好きになれない」と言われた。一瞬、返答に困ったが、今では話を聞くだけだが、何かにつけ悩みを打ち明けてくれる。

 渡米したばかりのころ、親身に世話をしてもらった男性2人がいた。2人は私にとっては初めての同性愛者カップルの友人だった。他の友人の誘いでゲイ活動家でサンフランシスコ市議だったハーベイ・ミルクのドキュメンタリー映画を見た。反同性愛者の市議が、市長とミルクを銃殺したにもかかわらず犯人は懲役7年という軽い禁固刑だったため、多くの同性愛者が公正ではないと立ち上がり、「ゲイライト運動」が高まっていった内容だった。その映画がきっかけで同性愛者の人権を考えるようになった。
 そして数年後、西海岸で沖縄県出身の同性愛者の青年に会った。「ここ米国では自分を肯定して生きられ、ありのままの自分でいられる」と話す彼は、思春期の時に自己の性的指向に関して悩み続け、自己否定し、自分を偽って生きてきた過去の事を語ってくれた。
 アメリカでは教育機関で同性愛者の人権を守るための取り組みが行われている。
 私が教えていた公立高校ではLGBT(性的少数者)の生徒やサポーターらが、各クラスで沈黙を続け、静かな抗議をする「サイレントデー」という日を設けていた。学生の1人に誘われてその放課後のミーティングに参加した。男女が輪になり、一人一人がそれぞれの思いを語り、いかに偏見や差別から自分を守るか意見が交わされていた。多感な10代の時期に、自己の存在価値に真っ向から向き合う高校生らの真摯(しんし)な思いが伝わってきた。
 地元の大学でも社会学や心理学の専門家たちの講演と「人権」がテーマのパネルディスカッションが定期的に行われている。そして、2011年、ジュネーブの国連本部でクリントン国務長官が世界人権デーにちなみ「同性愛者の権利は人権であり、人権は同性愛者の権利だ」と演説した。
 異性愛者中心の価値観に偏った社会に性的少数者のアイデンティティーを確立できる差別、偏見のない環境づくりを目指す活動の一つ「プライドパレード」が6月最終日曜日に各主要都市で行われた。
(鈴木多美子、米バージニア通信員)