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琉球弧・奄美大島奄美市出身の山中六が文庫版のかわいらしい第六詩集を出版した。本書は2章に分けられ、「祭りの夜」から「ひらがなに こいしてる」まで18篇(へん)の詩が収録されている。
詩集全体に、細やかな日常と優しい感受性とリズムが表現されている。私にとって「宿屋の主」「それは母さん」「茶碗」「指先に意志をもつとき」「しまぬ世(ゆ)」「言の葉に」などの詩篇が特に感動的だった。
私も、奄美市で何度も泊まったことのある「宿屋の主」は「少しずつ進む」認知症だったのだ。
母は
ガラスに映る
姿を見ている
アンマ、ウガシガリ、シラガ
ヌムティ
語りかける
(「それは母さん」)
語り掛けている奄美語が温かく効果的だ。その母も、89歳で逝去した。「家に残った者が/仏さんの/茶碗(わん)を/玄関先で割った//帰ってきても/あなたの茶碗は/あ り ま せ ん」(「茶碗」)。何ともつらく厳しい葬送の儀式である。
山中の詩には「あ り ま せ ん」のような一字アキにした特徴的な表現が多く見られる。そこから特有な呼吸法とリズムが伝わってくる。それは、彼女が陶芸を学んだり、朗読会や舞踏などをしたりしてつかんだ方法ではなかろうか。
今は鹿児島本土に住みながらも、詩には奄美群島の文化遺伝子が表現されている。「奄美―神道(かみみち)に導かれて」「私の子宮に眠るカムィヤキ」「しまぬ世(ゆ)」というタイトルだけでもうれしくなる。「足許にからみつく/先人の無念/いまこそしまぬ世を歩め!」(「しまぬ世」)。
山中は、「指先に意志をもつとき」で「そこに/船を 浮かべよ!」と自他に命令する。書くこと、表現し続ける「言葉を孕(はら)む/臨月の夜」(「言の葉に」)の決意である。現在を生きながら「体内に/層をなす」奄美文化を詩い続けること。さらなる精進を祈っている。
(高良勉・詩人、沖縄大客員教授)
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やまなか・むつ 本名・山中六江。1953年、奄美大島生まれ。92年に発刊した詩集「見えてくる」で93年に第16回山之口貘賞を受賞。その後も多くの詩集を発刊している。2010年、詩誌KANA「第18号」より同人。