『近代東アジア史のなかの琉球併合』 「琉球処分」史観超え


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『近代東アジア史のなかの琉球併合』 波平恒男著 岩波書店・7900円+税

 本書は日本による琉球王国の併合という歴史的事件を、東アジア近代の大きな変動の中に位置付ける研究だ。この事件を指す用語として、当時の日本政府が命名した「琉球処分」が定着しているが、それは琉球という国家が日本に滅ぼされ、日本の一部にされたという本質を捉えにくくしている。「琉球併合」こそが、ふさわしい用語なのだ。

 “1872(明治5)年に行われた「琉球藩の設置」を前提に、79年に「廃藩置県」が行われた”という理解の誤りを、本書は鋭く指摘する。72年に行われたのは「琉球藩王」の「冊封」、つまり日本の天皇が中国の皇帝と同じように琉球国王との君臣関係を結ぶ行為であり、琉球という国家が「琉球藩」になったわけではない。日本政府が「廃藩置県」と称して行ったのは、あくまで琉球王国の強制的な廃滅だったのだ。
 また本書は併合過程の分析で、琉球側の喜舎場朝賢「琉球見聞録」、日本政府側の松田道之「琉球処分」という二つの記録を対置し、一面では支配と服従、他面ではあくまで国家同士という日本・琉球の関係を鮮やかに照らし出している。
 かつて「民族統一」という考えが強い拘束力を持った状況でつくられた「琉球処分」史観が、沖縄と日本、世界の変化によって完全に意味を失ったという著者の見方はうなずけるものだ。それは評者の考えでは、「ウチナーンチュ」の民族的アイデンティティーが、“「日本人」か否か”に縛られることなく存在し得る状況の到来を意味する。「併合」以後の沖縄近現代史も、このような視点から書き換えられていくのではないか。
 最後に疑問点を一つ。近世の琉球王国が「自ら一国を為(な)」したことを、著者がしばしば「独立国」と言いかえているのは当たっているだろうか。評者は、中国に朝貢し、薩摩に服属していた琉球は、やはり「独立国」ではなかったと考える。「併合」以前には、「属国」も国家が存立する一つの形であり得たのだ。今後の議論を待ちたい。
 (塩出浩之・琉球大学法文学部准教授、日本近現代史)
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 なみひら・つねお 1954年、石垣島生まれ。琉球大学法文学部卒。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程中退。フランクフルト大学で2年間在外研究員。琉球大学法文学部教授。カント、ハーバーマスについて研究し、諸論文を発表、2000年代以降、テーマを近現代沖縄研究に転じる。

近代東アジア史のなかの琉球併合――中華世界秩序から植民地帝国日本へ
波平 恒男
岩波書店
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