【島人の目】アインシュタインの嘆き


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 ワシントンDC国立科学アカデミーの前にある大きなブロンズ像。片手にノートを持ち、階段に腰掛けた愛嬌(あいきょう)あるユーモラスな姿はどこかの好々爺(や)にしか見えず、これが一般相対性理論でノーベル物理学賞を受賞したアルベルト・アインシュタインなのかと微笑ましくもある。だが、この天才物理学者は、原爆製造計画を米国に勧めた主要人物でもあった。
 1939年、アインシュタインは、ルーズベルト大統領にドイツより先に原爆製造を成功させるように促す手紙に署名をする。それが米国が広島、長崎に投下した原子爆弾製造に着手するマンハッタン計画のきっかけになった。今や米国は世界の核兵器保有大国になっている。
 アインシュタインは後に「原爆が人類にとって恐るべき結果をもたらすことを私は知っていた。ドイツが原爆開発に成功するかもしれないという可能性が、私にサインさせた」と述懐している。そして広島、長崎の大惨事を知り、悲痛の声を上げ、自分の知識が核エネルギーに使われてしまったことを嘆いたという。また「私は生涯において一つの大きな重大な過ちをした。それはルーズベルト大統領に原子爆弾をつくるよう勧告した時に、もし私がヒロシマ、ナガサキのことを予見していたら1905年に発見した公式を破棄していただろう」と、罪の意識から後に平和声明を発し、戦争廃止を訴え、核兵器廃絶に尽力した。
 ワシントンDCのエネルギー省の1階ロビーには広島に投下されたのと同じ型の原子爆弾が展示されている。この長さ3・12メートル、直径0・75メートルの核兵器1発だけで広島の街が焼かれ、16万人もの市民が殺りくされたのだ。人類は何と恐ろしい怪物をつくってしまったのだろうか。
 公では非核三原則を表明した佐藤栄作元首相だったが、沖縄への核持ち込みに関する沖縄核密約の合意文書が出てきた。沖縄にある核貯蔵施設の存在が明るみになったり、さらに沖縄の米軍基地で核関連の実験が行われ、元米軍兵士の証言が出たりと、故郷への核持ち込み疑惑は依然として残っている。米軍はそれを否定も肯定もしていないという。
(鈴木多美子、米バージニア通信員)