【母として・異国で生きる県系人】 良子・クランデルさん 那覇市出身


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良子・クランデルさん(中央)

亡き夫と共に幸せな人生
 良子・クランデルさん(84)=旧姓・佐久本、那覇市出身=が半生をつづった回想録「泊物語」(2001年出版)には戦前の風光明媚(めいび)でのどかだった那覇市泊周辺の情景が鮮明に描かれている。良子さんの抜群の記憶力に感心し、天真らんまんな少女時代に心が和んだ。戦争が始まり、戦火を逃げ回るつらい日々を経験し、多感な10代の心情に触れ、胸が熱くなった。

 戦後、最初の結婚で苦労を強いられて離婚に至る記述には女性としての芯の強さを感じた。その後、空軍勤務のウエスさんと再婚し、人生の転機を迎える。持ち前の明るさで異国での日々を生きていく。
 良子さんが再婚する際、既に自立していた長男と次男は沖縄に残った。中学生だった三男・實さんと長女・恵子さんをウエスさんが「2人を養子として迎え、私たちは家族になる」と言ってくれた。3人はウエスさんの転勤地ドイツへ渡る。
 アメリカン・スクールに通うことになった子どもたちに良子さんは「大変な努力が要るが、努力すれば必ず結果が出る」と激励した。英語ができない2人に、ウエスさんは毎日3時間、勉強を教えた。そのかいあって2人は英語が上達し優秀な成績を収めるようになった。
 2人はいじめに遭うようになった。その時、恵子さんは相手にひるまず真っ向から抗議をし、それを良子さんに伝えることで不満を発散した。實さんは先に手を出した相手を投げ飛ばした。その後いじめはなくなった。實さんはスポーツ万能で、レスリングでは全欧州のアメリカン・スクールのチャンピオンになった。高校の卒業式で、實さんは校長から特別な生徒として紹介されると、良子さんは感激で涙した。その後、實さんはユタ州の大学で美術を専攻し、卒業後は長年商業デザイナーとして活躍した。
 一方、恵子さんは短大に進学後に空軍に入隊し、コロラド州の電気関係の学校に入った。その学校で知り合った男性と結婚し、2人の娘に恵まれた。
 ことし良子さんとウエスさんは結婚45周年を迎えた。ウエスさんは3年前から糖尿病が原因の失明、筋肉が衰えていく病気を患い、良子さんが在宅介護で支えた。その後、歩行もできなくなり、施設での生活を余儀なくされた。5月、妻、息子、娘にみとられて静かに息を引き取った。
 良子さんは「ウエスはいい夫、いい父親になってくれた。幸せな人生を送らせてもらい感謝している。手抜きをしないで夫を介護したので思い残すことはない」と夫の死を受け入れた。恵子さんは「母のたくましさを尊敬する」と話す。良子さんはバージニア州から、息子のいるユタ州に引っ越すことを決めた。
 沖縄ウイメンズクラブの会長として25年にわたり、自宅を開放し、沖縄女性たちのために親睦会を兼ねた食事会を月に1度行い、地域の奉仕活動にも力を入れてきた良子さん。傍らには、いつも静かに見守っていたウエスさんの姿があった。あのころが懐かしく、良子さんとの惜別の思いに駆られた。(鈴木多美子通信員)