銘苅淳のハンドボール魂 fromハンガリー(1)


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ハンガリーのトップリーグでプレーする銘苅淳

<出会い>ボール触れ 世界意識 大雨がつなぐ師との縁
 浦添市出身の銘苅淳はハンドボールの強豪国・ハンガリーで活躍している。持ち前の明るさや競技への情熱を原動力にたくましく生きる29歳のハンドボーラーが、日常生活や競技を取り巻く環境の違い、日本の後輩へのアドバイスなどをエッセーでつづる。

 沖縄の皆さん、初めまして。現在、ハンガリーでハンドボールをしている銘苅淳です。縁あって、私が日頃考えていること、体験したこと、ハンガリーと日本や沖縄とのスポーツ文化の違いなどを、紙面を通じてお伝えしていく機会をいただきました。私はまだまだ何かのスペシャリストというわけではありません。あまり堅苦しくならずに、皆さんとコミュニケーションを図りながら進めていきたいと思っています。質問やご意見をいつでもお寄せください。
 さて、少し自己紹介をしますね。
 僕は浦添市出身で、港川小、港川中、那覇西高を卒業しました。小学4年で少年野球を始め、中学1年までは野球部。中学2年からハンドボールを始め、それからはずっとハンドボール漬けです。筑波大を経て、実業団のトヨタ車体(本拠地・愛知)に入り、日本リーグで4年間プレーしました。2012年からはハンガリーに移り、ことしで3シーズン目です。
 なぜハンドボールを?と問われると、自分でもよく分かりません、というのが正直なところです(笑)。浦添市はハンドボールが盛んな地域ですが、僕がいたころの港川小にはチームがなく、中学生になって初めて目にした競技でした。僕が入学した年に男子ハンドボール部ができましたが、入学と同時にハンドボールを始めるという選択肢は頭にありませんでした。
 中学1年の終わりごろのことです。その日は大雨でした。僕が廊下を歩いていると、向こうからハンドボール部顧問の先生がやって来てこう言うのです。
 「あっちゃん、今日は雨だよ。野球部練習できないでしょ。ハンドボールは体育館だから行くよ!」
 当時の僕に断る術はありません。体育館で顧問の先生やコーチに話を聞いて、ハンドボールをすることになりました。当時顧問だった東江功子先生と東江正作コーチとの出会い。これが人生のターニングポイントでした。正作さんは翌日の練習で、180センチ近い身長の僕に「世界では小さいんだ」と言いました。ハンドボールに初めて触れた時から「世界」という意識を持たせてもらったことが、今につながっているのだと思います。あの日、大雨じゃなかったらハンドボールとは無縁のままだったかもしれません。人生、いつどこで何が起きるか分かりません。そう考えると、晴れの日も雨の日もなんだか楽しくなりますね。
 次回からはハンドボールを通して経験したことをお伝えしていきたいと思います。(隔週火曜に掲載。次回は30日)
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 この連載を読んでの感想や銘苅さんへのメッセージ、質問をお寄せください。ファクスは098(861)3980。電子メールはundou@ryukyushimpo.co.jp
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 めかる・あつし 1985年4月3日生まれ。港川中2年時にハンドボールを始め、那覇西高、筑波大、トヨタ車体を経て、2012年7月からハンガリーへ。今季は1部のBalmazujvaros(バルマズイヴァロシュ)でプレーしている。頻繁に更新しているブログも人気。