『歌の原初へ 宮古島狩俣の神歌と神話』 集落の社会と生活の根拠


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『歌の原初へ 宮古島狩俣の神歌と神話』居駒永幸著 おうふう・4500円+税

歌の原初へ―宮古島狩俣の神歌と神話 (明治大学人文科学研究所叢書)

 宮古島の北端に位置する狩俣、神歌と神話の里。本書は、そうした古色豊かな狩俣へ古代文学研究を専攻する著者が長年通って、当地における神歌と神話、特に神歌の機能やその内容・形式などについて、調査研究した成果をまとめたものである。詳細な研究論文のほか、講演録、エッセーを集録する。

 狩俣には、タービ、フサ、ニーラーグなどの神歌が、幾つかの祭祀(さいし)の場で伝承されてきた。それらは全体として見ると、狩俣の年間祭祀の中で、一つの神歌体系をなして存在する。
 タービの主な場はムギブーイ(麦祭)やナツブーイ(夏の粟祭)である。狩俣で特別の位置を占めるユームトゥ(四つの宗家)などで、ウヤパー(親母)と呼ばれる神女によって、そのムトゥの始祖神や傑出した祖先神を畏敬し、称賛するためによまれる(歌われる)。フサは、冬のウヤガン祭で、祖先神ウヤーン(親神)にふんした神女たちによってよまれる。
 内容は祖先の神々や人々の事跡であり、狩俣の神話と歴史を現出させる機能を持つ。ナツブーズその他の場で、男性神役によって歌われるニーラーグは、狩俣の神話と歴史を内容とする長編叙事詩である。タービ、フサ、ニーラーグは、神々を称え、神々と交流を図るために、それぞれ一定の表現様式を持つ。著者は狩俣の神歌を、それが歌われる祭祀の場や村人の神話との関わりで、詳細に考察している。
 著者によれば、「狩俣の神歌は原初の歌として存在するのであり、それが狩俣集落の社会と生活の根拠そのものである」という。それは神話学者エリアーデの『永遠回帰の神話』の世界に通ずるものである。社会の再生、豊穣(ほうじょう)を希求して、狩俣の祭祀や神歌があるとの主張は、おそらくその通りであろうし、私も同じ思いを抱く。
 狩俣という民俗社会を深く知り、「歌とは何か」を考える上で、大変示唆に富む一冊である。多くの方々に、一読をお勧めしたいと思う。
 (宮古島市史編さん委員・本永清)
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 いこま・ながゆき 1981年、山形県生まれ。国学院大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。明治大学教授。日本古代文学専攻。