【島人の目】「涙の再会」


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 感動のストーリーはワシントンDC沖縄会の逸子・アサト会長の元に届いた一通のメールから始まった。アメリカ旅行を機に消息不明の姉を探し、再会したいと言う沖縄のY夫妻の依頼に、逸子会長は即行動した。尋ね人が住んでいた近郊の沖縄会の会員に連絡を取った。

 その女性がバージニア州のノーフォーク市に住むTさん(76)だと分かり、朗報を沖縄のYさんに報告した。ワシントンDC入りしたYさん夫妻は、観光のフリータイムを利用して姉に会いに行くことになったが、ワシントンDCからノーフォークまでは、優に片道3時間かかる。英語が分からないY夫妻を気に掛け、逸子会長は会員たちの協力を仰いでリレー式でY夫妻をワシントンDCからノーフォークまで送ることを計画する。その後、息子夫妻も一緒だと言うことが分かり、さらに息子はアフリカの国で働く外交官で英語が達者と言うことで長距離バスでの移動となった。
 Tさんは7年前、弟のYさんに「沖縄に帰りたい」と言う言葉を残し、その後連絡がつかなくなった。Yさんはずっと姉の安否を気遣っていた。Tさんと親しくしていた友人によると、そのころTさんは、認知症の夫の介護で心身ともに疲れ果てていたようだ。間もなくして、夫が施設に入り、しばらくは一人で家を守り自由気ままな日々を送ったが、そのTさんも認知症になり、夫のいる同じ施設に入所した。沖縄の家族と全く音信不通になったTさんに弟夫婦が探していると話すと、涙を流したという。
 再会当日。施設から外出許可をもらったTさんは夫のいとこに連れられて長距離バスターミナルに赴いた。Tさんを探してくれた久子・プラット夫妻も立ち合った。バスが到着し、いよいよ再会の時を迎えた。ターミナルに入って来たY夫妻がTさんの姿に気付き、おもむろに近づき抱き合った。25年ぶりの姉と弟一家の再会だった。久子さんは、感動の場面を目の当たりにし、「全員涙の対面だったが、息子の嫁さんが一歩下がったところで涙ぐんでいたのを見てもらい泣きしてしまった」と話した。
 その後、Tさんのリクエストで県出身、絹江・バースナイトさんが経営する「寿」レストランで会食した。ゴーヤーチャンプルーなど郷土料理に舌鼓を打ち、Yさんがこの日のために作ってきた思い出のアルバムを見ながら昔話に花を咲かせた。
 世話をしている夫のいとこは「こんなに幸せそうに食べて、笑って話をするTさんを今まで見たことがない。Tさんは、弟は人一倍姉思いだと何度も言っていた」と話した。Y夫妻がワシントンDCに旅立つ時に絹江さんはお弁当を持参し、市内を案内した久子さんも見送った。Yさんは「朝、施設に行って姉と会って来た際、姉は涙ぐんで昨晩は涙が止まらなかったと話してくれた。姉との再会は途中諦めていたが、今は夢のような心地だ」と語った。Yさん一家は無事帰国し、沖縄会の逸子・アサト会長にお礼のメールが届いた。
(鈴木多美子、バージニア通信員)