『エース育成論』 厚い壁打ち破る情熱と反骨心


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『エース育成論』仲里清著 ベースボール・マガジン社1400円+税

エース育成論―九州の大学野球を変えた男

 大学野球は中央志向の高い世界だ。現在は地方の大学も力をつけてきたが、大学野球の中心はプロ野球より長い歴史を持つ東京六大学野球であり、さらに関東のリーグ、関西、東海、そしてその次に地方の大学と力関係がはっきりしている。地方から壁を破って全国の頂点に立つことは並大抵のことではない。

大学野球の聖地、神宮球場で繰り広げられる6月の全日本大学野球選手権大会は今年で63回、明治神宮野球大会は今秋で45回を数えるが、関東、関西以外で頂点に立った地方大学は2大会合わせて10校に満たない。
 仲里氏は35年間、東京から遠く離れた九州共立大から、大学野球の厚い壁を打ち破ろうと戦い続けた。甲子園で活躍するような有力選手は首都圏の大学に集中し、地方にはほとんど残らない状況で、仲里氏は地方に眠る原石の発掘、育成に力を注いだ。
 「人生を変えた」と言う山村路直(元ダイエー、ソフトバンク投手)は毎週のように四国までフェリーで渡り、本人を口説き落として入学へこぎつけた。ロッテに入団した川満寛弥投手は宮古総合実業高3年の夏、初戦で興南にコールド負け。だが、その才能を見抜いた仲里氏は那覇空港で川満を待ち伏せした。そして大学では早朝から夜まで、つきっきりで選手の指導をしてきた。この情熱が全日本大学野球選手権大会準優勝、明治神宮野球大会優勝、そしてプロ野球選手15人輩出という地方大学では破格といえる成績となって結実した。
 「中央に勝ちたい」。情熱の源は恩師である栽弘義監督にたたき込まれたものだろう。豊見城高では至近距離から栽監督のノックを浴びたという。強烈なまでに本土への反骨心を持っていた栽監督。白球を通してその魂が仲里氏に注入され、甲子園の頂点を目指した恩師と同じ戦いを挑んできた。
 今、その魂は白球を通して広島でルーキーながら大活躍を見せる大瀬良大地投手ら教え子に注がれた。栽監督の魂は仲里氏の教え子にも宿っているのではないかと思う。
 プロ入りした選手の育成法は部下を育てるビジネスマンにも参考になるかもしれない。(前田泰子・スポーツ記者)
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 なかざと・きよし 1954年8月20日、沖縄県出身。豊見城高、中京大を経て77年に九州共立大コーチ、79年に監督就任。90年に全日本大学選手権初出場。福岡六大学リーグ優勝36回、全日本大学選手権16回、明治神宮大会6回出場。96年の大学選手権準優勝、99年の明治神宮大会では九州勢初の大学日本一に輝いた。