『グリーン・グリーン』あさのあつこ著


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成長とは「受け入れる」こと
 新米教師の成長譚である。なんとなくこのまま結婚するんだろうな、と思っていた男から突然別れを切り出され、ふらふらになっていたところに、行きつけの喫茶店のマスターからおにぎりを差し出される。そのおにぎりが、主人公にはあまりにも美味しすぎた。高校教師となった彼女はその米の産地「兎鍋村」の農業高校に赴任する。

 新米教師は始終あたふたしている。教室に入れば書類を取り落とし、一礼すれば頭をどこかにぶつけ、授業をしても誰も聞いてくれず、その都度、へこむ。ただ、自分の中に閉じこもってカギをかけることはしない。彼女の場合、へこんだら、ひらくのだ。人気が高い同僚教師の授業を見学に行く。生徒の様子がおかしければ、その実態をクラスメートに尋ねる。そうやってちょっとずつ、「新米」の「新」が取れていく。
 そして自分をふった男のことを、思い出す頻度がどんどん減っていく。「俺はお前みたいにしっかりしていないから、お前はきっと俺を持て余すことになると思う」という、何だかよくわからない理屈を並べて去った男のことを、彼女は、どんどん思い出さなくなっていく。
 「忘れる」ことはない。しかし「思い出さない」時間が増えていく。それってつまり、「受け入れる」ってことだ。自分の意には沿わないけれど、でも起きてしまった出来事を、その人なりに「受け入れる」営み。「生きる」はそれに、限りなく近い。
 タイトルは、生徒たちがつけた主人公のニックネームである。主人公の名は「翠川真緑(みどりかわみどり)」という。何らかの考えがあってそう名づけたであろう親の存在は、しかしここでは、彼女にとっては若干の痛みを伴って描かれる。表面的には無難な母娘。でも娘は、母を怒らせないためにだけ生きてきた。地方の農業高校への赴任は、だから、初めての大きな反抗だ。
 手に手を取り合ったり、抱き合ったりといったような和解は、最後まで訪れない。けれど彼女たちは「距離をとる」ことを覚える。互いの人生には深く触れないという方法を。
 人は、ちくちくした何かを胸に秘めながら生きる。ちくちくは、そう簡単には去ってくれない。でも、いつかそれが取れる日が、案外あっけなく、やってきたりする。物語の最後に訪れた珍客のように。だから誰しも、人生をあきらめる必要なんて少しもない。澄み切った青空みたいな読後感に包まれた。
 (徳間書店 1600円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

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