【島人の目】車社会


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 イタリアは沖縄に似てぎんぎんの車社会である。ただし、この国はヨーロッパの先進工業国である。鉄道などの公共交通機関は早くから発達していて国中が網羅されている。モノレールが開通するまで鉄道の一本もなかった戦後沖縄とはまるで事情が違う。

 事情が違いながら沖縄とイタリアは、人々が時間にルーズな点でも似ている。住民が時間に鷹揚(おうよう)だったから、両者は車社会になったのだ。言うまでもなく車での移動は、定刻移動の列車や電車とは違って正確な時間計算が難しい。だからアバウトな時間感覚の持ち主には好都合だ。皆が車を使うことでお互いに時間にルーズな面を許し合う。文化や地域特性や歴史事情などをあえて無視して、時間感覚だけに焦点を当てると、両者は実によく似ている。もっと言うと東南アジアやアフリカなども似ている。
 イタリアは南ヨーロッパだが、地球全体で見れば北国である。北国の工業先進国なのに、イタリア人は暑い国の人々のように時間にルーズな車社会を築いた。それは多分彼らが個人主義を愛する人々である事実に加えて、身内にラテンの熱い血を持っているからである。陳腐だがそれ以外には説明がつかない。
 情熱的な人々は小さなことにはこだわらない。ちまちまと時間を気にするなどもってのほかだ。約束時間に遅れたり寄り道をしたりするのは当然。そういう社会では車が幅を利かせる。列車や電車では時間の遅れや道草の言い訳ができない。そんな堅苦しさを嫌うのが車社会に生きるイタリア人なのである。
(仲宗根雅則、TVディレクター)