大城盛三さん死去 屋良主席の秘書官 元那覇市助役


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大城 盛三氏

 琉球政府初の公選主席で復帰後初の県知事・屋良朝苗氏の特別秘書官として復帰前後の対日・対米交渉に立ち会った元那覇市助役の大城盛三(おおしろ・せいぞう)氏が10日午前9時15分、病気療養中のところ西原町のアドベンチストメディカルセンターで死去した。84歳。

久志村三原(現名護市)出身。告別式は12日午後2時から3時、那覇市天久1192の1、那覇葬祭会館本館2階天空の間で。喪主は妻節子(せつこ)さん。
 高校教諭、琉球政府文教局指導課指導主事を経て、1968年の初の主席公選で屋良氏が当選後、米国留学の経験を買われ専属の通訳として特別秘書官に就任。日本復帰や毒ガス移送問題などをめぐる対日・対米交渉の場面に立ち会い、沖縄側の記録を残した。復帰後初の県知事となった屋良氏が退任する1976年まで支え続けた。
 その後は県東京事務所長、労働商工部参事監、生活福祉部参事監、企画開発部参事監を歴任。県庁を退職し89年から93年まで、親泊康晴元那覇市長の2期目に市助役を務めた。琉球大学同窓会長、金門クラブ理事組織委員、沖縄国際大非常勤講師、那覇市民憲章推進協議会長も歴任した。2004年に瑞宝小綬章。
 妻の節子さんは元県婦人連合会長、元県女性団体連絡協議会長。