『水声』川上弘美著


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満たされるということ
 川上作品を手にすると、満たされる、という5文字について考えてしまう。静けさと狂気、穏やかさと熱情が、火花を散らし合うことなく、同じ重さでそこにある。だから読後感はどこか「羨望」に近い。こちらは頑張って大人ぶりながら、湧き上がるものを抑えに抑えて、じたばたと暮らしているものだから。登場人物たちは何かしらイレギュラーな方法で、危うい均衡を保ちながら満たされている。どことどこをどう支点に取っているのか、皆目わからないやじろべえのように。

 主人公は「都」と「陵」という姉弟だ。物語は、五十路を過ぎた都の回想の形で綴られていく。幼い日、自分たちを育ててくれたパパとママ。特に都にとっては、ママの存在と記憶が鮮烈で、ありとあらゆる思い出が噴出してくる。美しく、料理が好きで、天衣無縫に生きていたママの最期を、都はおそらく記憶の中で、何度もなぞり返してきたはずだ。
 そしてわりと冒頭のあたりから、ある種の匂いがただよい続けている。都と陵を結びつけていたもの。成長した2人が、ある一歩を踏み出すに至る、なだらかな坂道。それが登り坂であろうが下り坂であろうが、2人はいずれ必ずそこに行き着くであろうことが、匂いでわかる。
 そう、「匂い」なのである。言葉で綴られる小説という表現形態でありながら、ここでは「説明」がなされない(ように見える)。分析するでも観察するでもなく、都の記憶をひとつひとつ並べていくうちに、読者はある真実に至る。そしてそれはおそらく、読む人それぞれに違った色合いを見せるのだろう。
 私の場合は、主人公たちが少なくとも「ひとりではない」ことにちょっとやられた。どんなに疎遠になっても、おそらくつながりが切れることはない「姉弟」という関係。しあわせな2人だ、と思う。彼と彼女は長い人生、とりあえず、ひとりではない。でも、だからこそ募る孤独も、きっと避けがたくあるだろう。人が人を求めるということ。その吸引力で、たぶん世界はできている。
 (文芸春秋 1400円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

水声
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