『ゆがいなブザのパリヤー』 アイロニーはらみ舞う言葉


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『ゆがいなブザのパリヤー』松原敏夫著 あすら舎・1500円+税

 「さて――/地上には歌うべきものが多く生起する」(「語呂語呂」)と述べ、沖縄のいかなるさざ波や風の襞(ひだ)にも、彼の傷(いた)む指先でたどり見つめていく。彼の独自にひずむ内空間から、言葉をデフォルメし音質をゆがめ、一種の異空間を創り上げてくる。

さらに彼は電脳の森を切り開いていき、そこでパリヤー(畑小屋)を造り、過去と未来を混然とさせて独自の韻律を創っていく。
 松原敏夫の詩集「ゆがいなブザのパリヤー」は、言葉がアイロニーをはらみながら頭上を蝶(チョウ)のように自由に舞っていく。詩を語る上で論理による議論は必要ない。「ゆくし」で、島のブザ(おじさん)は乙女たちに偽の官能を代弁させつつ世界への悪意と親和を伸びやかに歌ってくる。
 頻出する沖縄語はスーヴニールの閾(いき)を脱して現代の思考によって変質させつつ普遍化していくのだ。彼の肉体に微振動している言葉の内臓を半ば絶望的に腑分(ふわ)けし、自在化させてくる。
 「ゴーラのゴリラよアララガマ何処マラマラアララガマ(中略)幻都はスイゾウのように神秘的に開けて来る深まれ静まれ幻都よ地下道掘って深まれ深まれ幻都の夜よ」(「幻都のゴリラ」)、また「サティ さてぃ/掘ると聞こえる古代の声が(中略)/あちこちに埋められ/この島では海を改行すると/暗く走る波が生まれ感情がうねってくる」(「南の島にはためく虚無よ」)と、地上に歌うべき敵意をしずかにくゆらしていく。
 日常の任意の場所と時間の裂け目に苦しげに分け入り、裏側の現実を日常化させ逆転してくる。冷蔵庫の上のアナナスを見て「そのパインは/『恋い慕う、やつれる』/という動詞をもつアップル/それからアナナス夫人は/辞書の上で『爆弾、手榴弾』と変身する」(「アバ果実館―」)この軽妙な感性の裏切りの仕方は、私たちの思想の固定化をほぐれさせてくる。
 ある瞬間、そこに深い吐息(「と駅」)をついて他者にオーイと呼び掛け「詩を書くものよ/時代は読者なんです」(「そのひとに」)と非在の時間から彼が肉声で語り掛けるとき、私は身震いしてしまっている。(田中眞人・詩人)
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 まつばら・としお 1948年、宮古島市生まれ。70年、琉球大学卒業。「琉大文学」「群島」「詩・批評」「あらん」に参加。第10回山之口獏賞受賞。現在、個人詩誌「アブ」を発行。