【アルゼンチン】高木一臣さん死去 「らぷらた報知」主幹


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主幹・編集長の高木一臣さん

 アルゼンチンの邦字紙「らぷらた報知」の主幹・編集長の高木一臣(たかぎ・かずおみ)さんが11月10日、肺炎のため亡くなった。89歳。

 高木さんは1925年、三重県尾鷲市生まれ。拓殖大学ロシア語科卒。51年、26歳からアルゼンチンに在住。何でも見てやろうという大志より、むしろ好奇心でやってきた。建築資材店支配人になり、三井物産の前身の商社に数年勤務した。その後は、生放送の国営放送海外向けラジオRAE日本語アナウンサーを41年間務めた。アナウンサーの傍ら、らぷらた報知の新聞記者となり、入社してすぐ編集長、主幹として49年間務めた。そのほか俳優としてアルゼンチンのテレビ、CM、映画にも出演し活躍した。
 スペイン語、英語も堪能。豊富な知識と豊かな人間性、幅広い視野で新聞記者としてアルゼンチンと日本の関係発展に大きく貢献した。朗らかな人柄で、高木さんにお世話になったアルゼンチン人、日本人は数え切れないほどだった。
 らぷらた報知の「展望台」と題した社説では、ユーモアも交えながらアルゼンチンの政治、経済、社会を鋭い洞察力と広い視野を生かし、読者のために分かりやすい話題を毎回豊富に提供してきた。日本人らしい「侍気質」を持つ人だった。沖縄を何度も訪れたことがあり、沖縄を深く愛していた。
 ことし10月に腎炎で一時入院していた。病気になったころにらぷらた報知を辞め、これから自伝を書く夢を持っていたが、それが夢に終わり残念でならない。
 高木さんは「亡くなるときは大げさな通夜や葬儀は避けて、火葬しその灰をラプラタ川にまいてほしい。私は船でアルゼンチンまで来たのだから、水に乗って日本へ帰りたい」と希望していた。そのため、葬式はせず、火葬だけで済ませた。(大城リカルド通信員)