『肉小説集』坂木司著


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

美味しい、それだけで奇跡

 読むと、肉が食べたくて食べたくてたまらなくなる一冊――だと思って読み始めたが、案外そうではなかった。むしろここに連ねられている多くの短編において、肉はちょっと飲み込みがたい、飲み込もうとすると喉が拒否する、忌むべき対象物として描かれる。

 どうも相いれない婚約者の父に無理やりおごられるトンカツ。中学生がなじみの床屋の奥さんに握らされた、密封容器の中で白く冷えきった角煮。会社でチームを任されて、いよいよ結束を図らなければいけない飲み会なのに、どうしても飲み込めないホルモン焼き。これらの何が悲しいかというと、これを「美味しい」と言う人たちと一緒にやっていかなければならない、という現実に他ならない。
 要するに、登場人物たちは正直なのである。普通こういう――是が非でも「美味しい」と言わざるをえない――シチュエーションに置かれたら、美味しいかどうか認識する前に食べものを飲みくだすのが大人だ。ええ、たぶん美味しかったです、もう無いけど。もう無いのだから、もう考えない。次だ次。人はそうやって肥え太ってゆく。
 最後に収められている『ほんの一部』は、好き嫌いが多すぎて「ハムサンド」しか食べられない少年の物語だ。どんな高級ハムよりも、スーパーのハムと食パンで作ったハムサンドを偏愛する主人公。そんな彼がある日、塾の同級生女子によって、フランスパンと生ハムで作ったハムサンドの存在を知る。革命的瞬間である。ちょっとだけ大人になる少年。
 食そのものが、すなわち人間関係である。特定の誰かと同じものを食べる、と決めた時点でその関係は始まっており、距離は縮まっている。深夜、ひとりですするカップ麺は、いつか出されるメーン料理のための、前菜にすぎないのだ。
 (KADOKAWA 1400円+税)=小川志津子
(共同通信)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。

肉小説集
肉小説集

posted with amazlet at 14.12.16
坂木 司
KADOKAWA/角川書店
売り上げランキング: 23,205
『肉小説集』坂木司著
小川志津子