【島人の目】中村修二博士のこと


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 青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞を受賞した3人のうちの一人、中村修二米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に会ったことがある。2011年2月下旬、ロサンゼルスダウンタウンの日米文化会館にて中村教授が講演をしたので、出席したのだ。

 当日、中村さんは、人がやらないことをやる、永遠のサラリーマンにはなりたくなかったと力説。アメリカの大学と企業の連携の良さに魅せられ、米西海岸カリフォルニア州のサンタバーバラへ移住した経緯を淡々と語った。
 講演が終わって1週間後に僕は本紙「島人の目」にコラムを書いた。中村さんは00年にアメリカに移住するまでに青色発光ダイオードをめぐり訴訟問題などの困難に遭ったが、それを乗り越えて今がある。「現在のあらゆる照明は、いずれほとんどがLED化されて世界の光を変えるでしょう。電気代が10分の1で済むから。液晶薄型大画面スクリーン、電飾あふれるラスベガスのLED化はすでに始まっている。日本ではかなわない夢がまだアメリカにはある。アメリカでは私を日本のエジソンと呼んでいる」など、印象深い講演であった。
 当時からノーベル賞受賞間違いなしのうわさがあり、あれから3年10カ月後に中村さんは夢の実現にこぎ着けた。愛媛県生まれの60歳、かつての「闘う科学者」のイメージは今回の受賞で消えうせ、インタービューなどでも終始笑顔で柔和な態度で接し、世界的大賞の偉大さをまざまざと見せつけられた思いがした。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)