『レッツゴー・ばーさん!』平安寿子著


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私には私の老い方がある
 自分が「おばちゃん」なのだということを、41歳の私はたぶん、うまく受け止めきれてはいない。さすがに「キレイなおねーさん」と呼ばれたいなどとは思っていないが、少なくとも身の周りの人たちは私を氏名で呼ぶため、まあ、このままでいいかなあ、などと思って今日を生きている。

 本書の主人公・文子は60歳独身。彼女の言葉を借りると「プレばーさん」だ。身体は以前ほど軽くないし、記憶も少なからず飛ぶけれど、でも自分の理想像たる「ばーさん」のあり方を、あれやこれや理論武装を並べては模索している。本文に書かれた「老い」の現実は決して平坦ではない。ファンだったはずのタレントの名前を忘れる、いつものところに置いたはずの鍵のありかがわからない。そういった物忘れが、もはや話のネタにすらならないくらい、頻繁に起こる。
 興味深いのは、文子が「ああはなりたくない」とするばーさんたちの描写だ。ひらひらのオーガンジーでできたブラウスを身にまとい、ピンクのグラデーションの老眼鏡をかけてふわふわと現れ、何の話題でも「わたしはね」の一人称でしか話せない「マダム澤野」。そして文子は知っている。自分のこの嫌悪感が、実は「嫉妬」に根ざしていることを。
 文子は読者に対して、今の自分に至るまでの日々をさらけ出す。かつての自分が何を見聞きし、何を考え、どんな服を着て髪形を整え、つまり自分が今までどれだけの「勘違い」をしてきたかを、それはもう洗いざらい。しかし「プレばーさん」になった今は人目をひかないので楽だ、と言ったそばから、でもこのままでは「ゴミみたいな年寄り」へと一直線だ、と思い直す。揺れる。大いに揺れる。40代が「青春期」でも「円熟期」でもないのと同様、60歳の文子も「中年期」でも「老年期」でもないのだ。
 ばーさんの身づくろい、ばーさんと相続、ばーさんと恋愛。各短編のテーマはやがて「いかに生きるか」へと舳先を向ける。人は、死に方を選べない。けれど、老い方なら、選べるのだ。本書は一般的な「老い」についての本ではない。「他の誰でもない、自分の老い」について、その歩みをポジティブに促してくれるのだ。
 (筑摩書房 1400円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

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