『あなたの明かりが消えること』柴崎竜人著


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寂しいなら寂しいと言っていい
 家族の物語である。というか「家族」というものに対して、どこか違和感とか、あるいは憎しみさえ抱いてしまう人たちの物語である。
 4人の語り手が登場する。彼らの思い出話の軸となるのは「来栖現」と「佳世」という夫婦だ。佳世は温かで圧倒的な愛を全方位的に振りまいて、45歳で亡くなる。ひそかに現を愛しながら、彼女の吸引力により来栖家と日々を共にすることになる旅館の元仲居。重病の佳世を置いて放蕩する現を憎みながら育った娘。娘婿として来栖家の一員となり、ふと自らの親を思い返す男。そして、現、本人。それぞれが、それぞれの言葉で「家族」を語る。

 肝要なのは、例えば娘が抱く「父親への憎しみ」が「憎しみ」のもう一歩先まで踏み込まれている点である。特に心引かれたのは、人は、何がどうあれ、また会えると信じているのだという一節だ。どんな相手でも、また会えると信じているから、人は相手を憎んだり恨んだりののしったりできるのだと。
 新概念である。少なくとも私には。もう二度と会えない可能性がなくはないのだから、人とはなるべく穏便に、程よく距離をとって生きてきた。そしてその「穏便」には大きな寂しさがつきものなのだと、このところようやくわかったりしている。心ごとつながるとか、いっそ家族になるとか、そういった腕力は「穏便」にしがみついているうちは得られない。「誰からも好かれる」なんてのは褒め言葉ではなく、人とつながるということに腹を決めていない証しなのだ。
 今は亡き人として語られる、来栖佳世という人物がまさしく「穏便」とは対極を生きた女性である。この人と見込めば、相手の手をつかみ力ずくで引き寄せる。孤独を生きようとする人に出会うと、その人と家族になろうとする。家族の催しに招くのではない、家族に「なる」のだ。底抜けの明るさと愛情を全開にして。穏便を生きる者にとって、そういった手合の人物は、接することすらキツいものだ。でも彼らはやがて家族に「なる」のである。佳世亡き後の来栖家の一員に。
 何かの不在や、何かを失うということに、慣れきってしまった人に贈りたい一冊だ。うつむいて、足元だけを見て、他には何も目に入らないようにして生きている人に。前を向けなんてことは言わない。けれど心をふさぐ重たい何かについて、せめて「重たいです」と誰かに打ち明けることぐらいは、誰にだって許されているのだ。
 (小学館 1100円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

あなたの明かりが消えること
柴崎 竜人
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