与那国サトウキビ援農隊、40年で幕 応募も農家も減少


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 【与那国】与那国島のサトウキビ収穫期に北海道など県外から集団でキビ刈りや製糖作業に訪れる「援農隊」の取り組みが40年を迎えた。援農隊をきっかけに島に移り住む人もいるなど島の農業を支えてきたが、参加者が減少傾向にあり、節目となった今回を最後に幕を閉じることになった。

 援農隊は1976年に元共同通信記者の藤野雅之さん(73)が発起人となり始まった。
 与那国島では復帰前、台湾の援農があったが、72年の日中国交正常化で台湾と国交が断絶し援農が途切れ、人手不足が深刻になっていた。当時、共同通信の記者で与那国の状況を報道していた藤野さんが地元の要請を受け、記者仲間と全国に与那国への援農を呼び掛けた。反響は大きく約500人の応募があり約80人を派遣した。
 参加者の中で北海道の人たちの熱心さに地元の評判が高かったことから、79年からは北海道で面接採用を開始。北海道の人たちを中心に毎年50~120人の援農隊が結成されてきた。
 しかし、農家の減少などでサトウキビは減産が続き、北海道の応募者数も減少してきたため、40回目の援農隊でこれまでのように募集する取り組みを終えることを決めた。
 最後の援農隊には39人が参加し昨年12月16日から作業している。2月12日には記念式典を開く予定だ。今回援農隊に初めて参加した北海道の畠公一さん(64)は「以前から一度はやってみたいと思っていた。退職し落ち着いたので参加した。援農隊の取り組みがことしで最後というのは寂しい」と話した。
 藤野さんらによる援農隊は終えるが、援農の募集は島の関係者らが続ける予定。
 藤野さんは「人生の中で半分以上与那国島に関わってきた。今の自分は島があってのことと感じている」と40年間を振り返り「サトウキビを通して日本の北と南をつないでこれた意義はあったかなと思う。今後も交流が続くことを期待したい」と語った。

サトウキビの刈り入れなどの作業に汗を流す今期の援農隊参加者=1月16日、与那国町
「今後も交流が続くことを期待したい」と話す藤野雅之さん