『ラスト・マタギ』志田忠儀著 そこにクマがいた時代


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 山形県の朝日連峰の麓に住む志田忠儀さん。大正5年生まれの御歳98である。
 小学生の頃から山に入り、初めてクマを撃ったのは15の時。以来、仕留めたクマは50頭あまりと言う。狩猟が盛んな地域にあっても、抜きんでた実力を持つ名人として有名であった。クマのみならず、テンやウサギも獲物とし、イワナやカジカを釣り、山菜やキノコも採る。一年中山に暮らし、その恵みを正しく受け取ってきた人生である。

 あまりにも自然と親しんできたからか、野生動物が向こうから懐いてくることもあったという。サルが膝の上に乗って毛繕いしたり、死にかけていたテンに餌を与えたところそのまま玄関に住み着いたことも。
 忠儀さんは動物たちのルールを熟知している。クマはどこにねぐらを作るのか、どのルートで山を越えるのか。ウサギは何時頃巣穴を出てくるのか、カモシカは斜面をどうやって下るのか。先人からの教えに忠儀さん自身の長年にわたる観察結果が加わって、周囲から首をかしげられるほど、獲物たちと遭遇する機会が多かった。
 しかし見つけたからと言って必ず仕留められるわけではないのが狩猟というもので、撃ってきたクマは50頭でも、見てきた数は1200頭くらい。つまりほとんどのクマを逃してきたことになると軽やかに振り返っている。
 男たちは忠儀さんをリーダーとしてチームを編成して山へ入る。小屋を拠点にして1週間ほどクマを追いかける生活を送る。その様子がなんとも楽しそうでうらやましい。クマが捕れれば晩飯にはクマの刺し身にありつける。獲物がなければ川でイワナを釣って食べる。男たちは今まで捕ったクマ、逃がしたクマについてにぎやかに語り合い、クマ革を張った床で眠るのだ。
 言うまでもなく、自然は厳しく、クマは獰猛で、マタギは大変な仕事である。
 そして人が多く入り、自然が破壊され、生態系が崩れてしまった現在の山では、昔のように獲物に出会うことはできない。故にこの本のタイトルは『ラスト・マタギ』である。
 数十年前までは確かにそこにあった。そしておそらくそれはもう二度と取り戻すことはできない。
 感傷にふける権利など私にはないけれど、憧れ、想像することで私が確かに満たされるのはなぜだろうか。
 (KADOKAWA 1500円+税)=日野淳
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日野淳のプロフィル
 ひの・あつし 1976年生まれ。出版社で15年間、小説、音楽、ファッションなどの書籍・雑誌の編集に携わり、フリーランスに。今、読む必要があると大きな声で言える本だけを紹介していきたい。
(共同通信)

ラスト・マタギ 志田忠儀・96歳の生活と意見
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