『サラバ!』西加奈子著 言葉を超える瞬間を体験


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 大切なのは言葉じゃないんだ、と言うのは言葉を仕事に選んだ自分としてはあまり使いたくない表現だが、まさに「言葉じゃないんだ!」としか言えない瞬間があることをあらためて思い知らせてくれる小説だ。

 主人公はイランのテヘランで生まれた圷歩(あくつあゆむ)なる男であり、物語は彼の自叙伝のような形で進行していく。
 自己中心的な母と奇行癖のある姉に振り回され、父の仕事の都合で世界を転々とするうちに、歩はできるだけ静かに目立たずに生きていく術を学ぶ。
 恐れと怯えの感度を鋭敏にしていた小学生の彼がエジプトのカイロで出会った少年ヤコブ。彼とは会話をせずとも、すべてを分かり合えるという不思議な経験をする。
 「サラバ!」「サラバ!」
 その魔法のような一言があれば、他には何も必要なかった。
 やがて日本に戻った歩。1977年生まれの彼は、大人になると同時に阪神大震災、地下鉄サリン事件の衝撃に遭う。社会に出る頃には経済は停滞。目の前は就職氷河期で、日本は希望を見いだしにくい国になっていた。そして9.11で世界の歯車のきしみに気が付くが、それがなんなのか分からないまま、東日本大震災を迎えてしまう。
 周囲に合わせることばかり考え、流されるように生きてきた歩。ぐらぐらと揺れ続ける世界では立っているのもままならない状況だ。
 「自分が信じるものを誰かに決めさせてはいけない」
 物語の後半で、歩は姉からそうたしなめられる。もちろん読者も同時にこの厳しい一言を受け止めなければならない。
 さあ、そこで再び「サラバ!」なわけなのだが、冒頭で書いたようにその瞬間に起こった奇跡を言葉で表すことはできない。
 歩が言葉を超えた大いなるものに出合う時、決して大げさではなく、私は自らが信じるべきものに触れた。
 第152回直木賞受賞作である。
 (小学館 上下巻各1600円+税)=日野淳
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日野淳のプロフィル
 ひの・あつし 1976年生まれ。出版社で15年間、小説、音楽、ファッションなどの書籍・雑誌の編集に携わり、フリーランスに。今、読む必要があると大きな声で言える本だけを紹介していきたい。
(共同通信)

サラバ! 上
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