『プラットホームの彼女』水沢秋生著


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悔いるならどこまでも行け

 これもまた、「連なり型」の短編集である。舞台は、とある田舎駅。人影のないプラットホームで、もの思いにふけっていると、彼女は唐突に現れる。髪をオレンジ色のりボンでまとめたセーラー服姿の美少女。彼女と言葉を交わすうち、きゅるきゅると巻き戻る記憶。そして気づけば、彼女の姿はそこにはないのだ。

 短編たちはそれぞれ、もの思っていた側の視点で語られる。失った友だちや恋人や我が子や家族の連帯や、あるいは勇気だったり情熱だったり、とにかく何かを「悔いる」者たちであることが、読み進むうちにわかってくる。何かを失い、そのことで、人生の時計を止めてしまった人たち。自分らしい人生とかは、なんかもう、別にいいや。そんなふうに思っている人たち。
 登場する人々が、共通して物語ることがある。最寄りの高校に根付く幽霊伝説と、かつて通り魔に刺し殺されたという美少女の存在だ。共通して登場する人物もいる。その駅の、駅長である。彼もまた、プラットホームに現れる彼女に心を残している人物である。ここでこうして、幽霊的な何かになってしまう前の彼女を知っている人物。何度となく、姿を現しているらしいことは人から聞いているのだけれど、けれど自分には、それが見えない。そのことをちょっぴり寂しく思いながら、この駅から離れられずにいる。
 人生という時計は回り続けるものだ、などといったい誰が決めたのか。たぶん人は無数の時計を持っていて、そのうちのひとつが止まっていても、別の時計がそれなりに、人生を進めているのだ。かつて手痛い失恋をしても、社会人としての時計が回っているから、私は今こうして原稿を書いている。そう、時計を無限に所有できることこそが、すなわち人生の豊かさなのである。
 苦しいのは「時計が止まってしまうこと」それ自体ではなく、止まってしまっている時計と、動いている時計との、時間差にとらわれてしまった時だ。自分の心はあそこにいるのに、自分の身はこんなところまで来てしまった。そう思ってしまう瞬間だ。でも、生きているのだ私たちは。明日は来るのだ容赦なく。
 ラスト、彼女の正体がようやくわかる。大方の予想とは、たぶん違う人物である。そして、彼女の人生だってかなり悔いまくり、というか悔いのカタマリであることも知れる。時間が前に進む以上、悔いのない人生なんてありえない。むしろ、人生は悔いでできている。そこから目を背けずに見つめること。それをこの本は教えてくれるのだ。
 (光文社 1500円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。

プラットホームの彼女
プラットホームの彼女

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水沢 秋生
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『プラットホームの彼女』水沢秋生著
小川志津子