【島人の目】ドイツの良心VS日本の不徳


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 先日、「ドイツの良心」と呼ばれて世界中の尊敬を集めたワイツゼッカー元独大統領(享年94)の国葬が、首都ベルリンで行われた。

 元大統領は数々の名演説で知られ、特に有名なのは「歴史を変えたり、なかったりすることはできない」「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目になる」という表現で、ドイツの戦争責任やホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と率直に向き合うよう国民に求めた、1985年5月8日の議会演説である。
 戦後40年の節目に行われたその演説で、元大統領はさらに「非人間的な行為を記憶しようとしない者は再び同じ危険に陥る」「戦争が終わった5月8日は“敗戦の日”ではなく、ナチスの暴力支配からドイツ国民が自由になった“解放の日”である」とも断言した。
 戦後のドイツは、過去の清算と反省なしに国際社会への復帰はできず、近隣諸国との和解も遠かった。元大統領の熱い訴えがドイツ国民の良心を呼び覚まし、過去を直視して揺らがない道筋がつくられると同時に、世界中が感銘を受けてドイツを許した。そうやって戦後ドイツは、国際社会の信頼を回復し今日に至っている。
 さて、ドイツと似た過去を持つわが日本では、安倍晋三首相による戦後70年の談話が8月に発表される予定になっている。失礼ながら安倍さんとワイツゼッカーさんでは人間の器が違う。結果、歴史認識まで違う。それでも、戦後40年でドイツ社会を一変させたワイツゼッカーさんにあやかって、安倍さんが国民と近隣諸国と世界を感銘させる立派な談話を発表し、国際社会から「歴史修正主義者」と規定されている自らの不徳を一蹴するよう期待したい。
(仲宗根雅則、TVディレクター)