『しるしなきもの』真藤順丈著


社会
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オペラのように荘厳な暗黒小説
 激しい切った張ったに、けたたましいまでのドンパチ。
 暴力団対策法以降の日本を舞台にして、ヤクザがここまで縦横無尽に暴れ回る小説もそう多くはあるまい。
 主人公は日本を牛耳らんかとする暴力団組織「早田組」の頭の息子。この男、早田桂介は愛人の子として組織の中では日陰を歩いているわけだが、出生にまつわる事情以上に彼を特別な存在たらしめていることがある。

 桂介は戸籍上は男なのだが、実は両性具有。男女どちらでもあり、どちらでもないのだ。男であることが一般社会以上に重要視される世界で生きるからには、そのセクシャリティーを決して他人に知られてはいけない。しかも彼は、母を捨てた組長とともに、早田一族のすべてを葬り去ろうという野望を抱いているというから、なおのこと懊悩も煩悶も一人で抱え込まねばならない。
 男である自分は暴力の衝動に身を任せて組織全体を焼き尽くすことを望む。女であるもう1人の自分はそんな血なまぐさい世界に飽いていて、もっとしたたかに生きていきたいと願っている。
 早田組が外国人マフィア一掃に乗り出し、争乱に乗じて桂介の計画も本格始動しはじめると、彼の中にいる2人はいよいよ分裂する。
 本書の語り手でもある桂介の分裂は、同じパラグラフの中で、「僕」と「あたし」という人称が混在することで巧みに表現される。1人の主人公の思考に寄り添う形でページをめくってきた読者は、そこで桂介の二重性の中にすっぽりと取り込まれるような錯覚を覚える。ここがなんともうまい。
 自己との対話というある種哲学的な作業が行われながら、血しぶきが上がり、火薬が炸裂するという暗黒エンターテインメント小説然とした光景が展開していくのだから、この取り合わせもまた新鮮である。
 そして特筆すべきは、文章の美しさ。レトリックを尽くした華美な文体でこの珍妙にも転びかねない大胆な物語を、オペラのように荘厳に歌い上げているのだ。
 『仁義なき戦い』や『ゴッドファーザー』が一般教養化した時代に、それでもヤクザを動かしたいなら、これくらいのことはしなくちゃいけないという著者の気概が感じられる。
 (幻冬舎 1600円+税)=日野淳
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日野淳のプロフィル
 ひの・あつし 1976年生まれ。出版社で15年間、小説、音楽、ファッションなどの書籍・雑誌の編集に携わり、フリーランスに。今、読む必要があると大きな声で言える本だけを紹介していきたい。
(共同通信)

しるしなきもの
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