沖縄との懸け橋に 南米出身初 比嘉さんが名桜大大学院を卒業


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学位の証書を手に笑顔を見せる比嘉アンドレスさん=4月9日、名護市為又の名桜大学

 【名護】アルゼンチン出身で県系2世の比嘉アンドレスさん(40)=名護市=が3月8日、同市為又の名桜大学大学院を南米出身者として初めて卒業した。研究テーマは、世界各地のウチナーンチュ同士のネットワークだ。比嘉さんは「沖縄のウチナーンチュと(自分のような)南米のウチナーンチュが『地球のウチナーンチュ』として一緒に発展できるよう、双方に深いつながりをつくっていきたい」と意気込んでいる。

 比嘉さんは2014年4月から名護市の臨時職員として、市国際交流会館で働いている。
 祖父母が父方、母方共に名護市出身の比嘉さんは、首都ブエノスアイレスで生まれ育った。アルゼンチンの大学で医学を学んでいたが、在学中に学費を稼ぐため8年前に初めて日本を訪れた。
 国内各地の工場などで働き、帰国する前に「先祖にウートートーしよう」と沖縄を訪れると、空港では初めて会う親戚が何人も待っていた。日本で働いている間は外国人としての疎外感もあった。親戚の口を突いて出た声は「お帰りなさい」。比嘉さんは泣いた。「知らない(初対面の)人なのに、抱き締めて泣きましたよ」と思い出しては目を細める。
 当初の予定では2週間の沖縄滞在だったが、名護市内の親戚の家々に呼ばれているうちに、最終的に半年が過ぎていた。沖縄をまるで生まれ故郷のように感じていた。比嘉さんは2008年、さらに沖縄について学び南米との懸け橋となるべく、名桜大学国際学群国際文化専攻に入学し、12年に同大大学院国際文化研究科に進んだ。
 世界中のさまざまな移民の歴史を学びながら、世界に散らばる沖縄移民がウチナーンチュとして一体感を持てるにはどうすればいいかを考えた。「地球のウチナーンチュ」同士の留学プログラムや国際金融機関など、比嘉さんはアイデアを温め続けている。14年8月に稲嶺進名護市長がブラジル・カンポグランデの沖縄移民100年の記念式典に出席した際には、同行スタッフを務めた。
 比嘉さんは沖縄も「母国」と呼ぶ。アルゼンチンの大学は沖縄に来てから辞めた。「人生は何があるか分からない。自分の気持ちに正直に生きた方がいい」。人生のテーマである「沖縄と南米の懸け橋」となるために、これからも突き進んでいく。(長浜良起)