『沖縄まぼろし映画館』 街映す庶民文化の復興史


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『沖縄まぼろし映画館』平良竜次・當間早志・NPO法人シネマラボ突貫小僧著 ボーダーインク・1800円+税

 私が那覇市内に仕事場兼住居を構え、半移住生活めいたことを始めて8年ほどになるけれど、最近はもっぱら同好の士と戦後直後に栄えた街を散策しているときが楽しい。往時の街のにおいや記憶をさがしていると、ふいに斬新なモダンデザインの古い建築物に遭遇することがある。

それはたいがいかつての映画館で、いまは別の目的で使われていることが多い。私はそんなときにバッグから「沖縄まぼろし映画館」を取り出して、確認する。あった、これだ。本に記録されている映画館の由来を読みながら、地元の人たちが詰め掛けていた時代を思い浮かべる。
 それにしても、ピーク時の1960年には沖縄には120軒も映画館があったことに驚く。
 本書では終戦直後の45年から本土復帰の72年までに絞り、映画館の調査をおこない、取り上げている。この期間に調査対象を限定したのは、第2次世界大戦で破壊しつくされた沖縄の復興はまさにゼロからの街づくりで、それに大きく貢献したのが映画館や劇場だったからだという。映画館は街の「中心」だった。
 66年生まれの著者の一人、當間早志は「この時期の歴史は、反米・反基地や復帰運動等の政治的な大きな流れで語られることはよくあるが、庶民生活の臨場感が見えてこないし、学校でもきちんと教えてくれなかった」と書く。當間は、沖縄映画興行史を調べていた山里将人氏の研究成果を引き継ぐかたちで、丹念に上映時間や成り立ちを調べ、相棒の74年生まれの平良竜次が少しずつ新聞のコラムで世に出していった。
 戦後の沖縄に林立していた映画館の大半はすでに姿形すらなかったり、閉館したまま時が過ぎている。が、一部の映画館はほそぼそながら営業を続けたり、桜坂シネコン琉映が桜坂劇場として再生したりして、街の文化発信基地を担っている例もある。
 映画館を通じて沖縄の復興史を知ると、人々が映画や芸能や娯楽を楽しみ、道を行き交う人々の熱気に溢(あふ)れた街の相貌が目に浮かぶ。そうした文化的で平和的な風景こそ、本来の沖縄には似合うのだと思う。
 (藤井誠二・ノンフィクション作家)
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 たいら・りゅうじ 1974年、那覇市首里生まれ。NPO法人シネマラボ突貫小僧著代表。

 とうま・はやし 1966年生まれ。那覇市小禄出身。映画監督・映画作家。

 とっかんこぞう 1988年、映画館支援の上映イベント「シネマエイド88」を実施した中心メンバーによって結成された。

沖縄まぼろし映画館
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