【島人の目】トルコとバチカンの歴史認識


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 親日国のトルコは日本と同じような歴史認識問題を抱えている。それが「アルメニア人虐殺」である。

 1915年4月24日、当時オスマン帝国だったトルコ領土内の少数民族アルメニア人への虐殺が始まり、100万~150万人が犠牲になったとされる。トルコはその歴史を認めず、当時は多くのトルコ人もアルメニア人と共に被害に遭った、と主張している。アルメニア人の犠牲者数にも誇張があり、通説の犠牲者数の3分の1だった、とも反論する。
 事件から100年を迎えるにあたってバチカンのフランシスコ教皇はこのほど、「アルメニア人虐殺」はナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と、旧ソ連のスターリンの大粛清と並ぶ歴史の三大悲劇と規定した。さらに「アルメニア人虐殺」は20世紀最初のジェノサイド(虐殺)だと明言した。同時にこれを隠蔽(いんぺい)したり否定したりすることは「傷口を手当てすることなく血が流れるままにするようなものだ」とも非難した。
 この発言にトルコのエルドアン大統領が猛反発。教皇の言葉は宗教指導者ではなく、政治家のものだと応酬し「教皇が同様の過ちを二度と犯さないよう警告し、彼の言葉を断罪する」とさえ述べた。
 バチカンとトルコの反目の背景には、中東で根強くあるキリスト教徒とイスラム教徒との長い確執が影を落としている。なぜならトルコ国民のほとんどもイスラム教徒だからだ。トルコはEU(欧州連合)への参加を希望しているが、バチカンとの対立はその可能性を遠ざける。欧州の国々がトルコ政府の反応に眉をひそめているからだ。トルコファンの僕はそれが残念でならない。
(仲宗根雅則、TVディレクター)