【島人の目】仲宗根雅則/島人と大陸人


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 僕の妻はイタリア半島の付け根のあたり、オーストリアに近い内陸部で生まれ育った。つまり大陸人だ。一方、僕は絶海の孤島と表現してもいいくらいの小さな多良間島で生まれ育った。自他ともに認める島人の中の島人である。
 妻は僕と結婚してから二年に一度ほどの割合で多良間島を訪問している。彼女は美しい海に囲まれた島が大好きだが、実はそこに滞在中は、小さな陸地に閉じ込められた、という印象が強くて閉塞(へいそく)感や不安も覚えるという。島で台風に遭遇したりすると彼女はもっと絶望的な気分になる。ただでも頼りない小さな陸地が、荒れ狂う海に飲み込まれそうで普段にもまして強い不安に襲われるのである。
 片や僕は今住んでいる北イタリア、つまり大陸で絶えず閉塞感にとらわれる。どこまで行っても陸地続きで海がない状況が、ときどき僕を憂うつにさせるのだ。逆に島にいると僕は自由と開放感を味わう。明らかに海のおかげである。僕にとっては島は閉ざされているのではない。「海に向かって開かれている」陸地なのである。
 妻が台風の海を怖がる心理も僕は分からない。台風に慣れていることもあるだろうが、要するに僕には海への恐怖心がないのだ。島が広大な海に囲まれた、ちっぽけな陸地とことさら考えるから、妻は暴風に巻き上げられた海が津波のように島の上になだれ込む妄想にとらわれるのだろう。ところが僕にとっては海は、感覚的に体と同一化しているようなものだから恐怖の対象にならないのだと思う。
 このように島人と大陸人はかなり違う。その違いに比べたら、日本人とイタリア人の方がまだお互いに似通っているくらいである。
 (イタリア在住・TVディレクター)