4月25日にマグニチュード(M)7・8の巨大地震が発生したネパールで、日本の国際緊急援助隊員として要救助者の捜索などに参加した第11管区海上保安本部那覇航空基地所属の西川輝彦機動救難士(30)が帰国後の11日、同本部で活動内容を報告した。
西川さんは「町中は多数のがれきが残り、テント暮らしの住民が散見され、食事も不衛生だった」と説明し、支援継続の必要性を訴えた。
11管からの国際緊急援助隊派遣は、2011年のニュージーランド地震災害救助派遣以来。西川さんは4月28日から5月6日まで、カトマンズ周辺で要救助者の捜索やがれきの撤去に当たり、9日に帰国。救出活動は被災者の生存率が著しく下がるとされる発生後72時間が近づく中、朝8時から日没まで行われた。
要救助者の捜索は住民らからの情報や警察犬の嗅覚などを頼りに実施。レンガ造りの家が多く、機材で穴を開けると崩れて二次災害を引き起こす恐れがあるため、生体反応があればバケツリレーでがれきを運んだ。「72時間を超えたから作業をして駄目だと考える隊員は一人もいなかった」
生存者の救出には至らなかったが、1人の遺体の発見、搬送に立ち会った。西川さんは「一人でも多く救助し、家族の方に再会させることを常に考えていた」と活動を振り返った。
第11管区海上保安本部の長谷川義明本部長は「海上保安官として業務に当たった経験を仲間に分けてもらいたい」と話し、労をねぎらった。