『島惑ひ 私の』 沖縄に心重ねた詩人


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『島惑ひ 私の』石川為丸著 榕樹書林・2000円+税

 島の暗がりでひそやかに惑う言葉たちを残したまま、昨年末、詩人石川為丸は突然、逝った。急逝した詩人の死を悼み、彼の生き方に想いを寄せる仲間たちによって編まれた、瀟洒(しょうしゃ)な装丁の遺稿詩集の帯に選ばれた言葉は、「ラディカルな単独者の詩魂」。

 1960~70年代、激動の政治闘争の果て、敗亡の想いを抱き単身沖縄にやってきた新潟生まれの詩人の心は、沖縄の歴史の痛みと重なった。沖縄戦の傷痕、安保体制が強いた今なお続く基地の重圧、この地にそれらを強いるものへの憤りと「叛意(はんい)」を詩人はあいまいにしない。詩の言葉は、「私」と「沖縄」のいたみを抱き合わせるようにしてどこまでもやさしく、叙情的ですらあるが、批評の目線は鋭く、自身の過去に向かう言葉はいたましい。
 「赤まるそう通り」や「島影の見える場所」にたたずみ、「南風原で這いつくばる男」を目撃し、「異風な声」に呼ばれていると感じながらリフレインされる、「私はここで何をしているのか」というつぶやきは、風に揺れるさとうきびを思わせた詩人の身体を呼び起こすようだ。
 しなやかな詩心は言葉遊びにも発揮された。得意の回文、君が代を揶揄(やゆ)した「君が酔う」、「きちのへのこいせつそし」と句の上に添えた折句で遊んだ「十月の園芸家」。園芸家(?)を自認し飯のタネにもしていたらしい草花や路傍でうずくまる人々への、ひっそりと生きる命への慈しみが低い声で詠(うた)われる。詩作の根にあるのは、記憶の死者たちへの断ち切れぬ想いだ。死に目にあえなかった肉親、自殺した寮の先輩、同志、そして戦争で葬られた無残な死者たち。「歴史の裡(り)面に消滅し」た「死者たちの闇」を詩人は見つめざるを得ない。
 客死という言葉がある。異郷で死すというこの言葉に深い意味を込めた済州島生まれの研究者がいる。「死を死なせないというかたちで、持続していく追悼のやりかた」だと。詩の言葉をつむぐとは、記憶の死者を呼び込むこと、悼み続けること、そしていずれやってくる己の死を見つめること。そう詩人石川為丸は言っているようだ。(崎山多美・小説家)
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 いしかわ・ためまる 1950年10月、新潟県柏崎市に生まれる。詩人。2014年11月、那覇市で死去。