【島人の目】沖縄版「松下村塾」よ再び


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 西海岸に住むKさんから「まさに沖縄版『松下村塾』。読後の感動と感激が収まらずあなたも興味があると思う」の手紙とともに文献のコピーが送られてきた。

 それは沖縄外国文学会の「Southern Review」という学会誌に屋比久浩氏(名桜大学名誉教授)が、恩師である故翁長俊朗氏について書いた随筆だ。翁長氏の経歴のほか、戦後まもなく開校した沖縄外国語学校の初代学校長として、学校運営から学生の生活の改善まで米軍政府と折衝しながら尽力したことが書かれている。
 文中に「能力や背景の異なる若者たちが何かに取りつかれた様に勉学に熱中していた。全寮制で米軍の残していった野戦用の施設を使っていた。テント小屋、冷水しか出ない故障しがちのシャワー、縦穴のトイレ。苦しかったのは食料不足からくる栄養失調でマラリアが学生たちを襲った」とある。
 卒業生の一人は「当時の食料は配給。麦のにぎりめし一個だけで常時腹をすかせていた。そんな時、翁長校長宅に招かれ、奥さん手作りのまんじゅうをごちそうになった」と回想している。沖縄外国語学校で学んだ学生は、後の県知事の大田昌秀氏や副知事の比嘉幹郎氏など、その他卒業生のほとんどが沖縄の政界や財界、教育界で沖縄の発展に寄与し大きな役割を果たしている。
 これは、草莽崛起(そうもうくっき)の思想を持った吉田松陰の門下生から、近代日本の傑出した人材を輩出した長州の若者たちを彷彿(ほうふつ)させると言うKさんの意見に賛同した。屋比久氏は「先生方は使命感に燃え、その情熱が学生を揺さぶり奮い立たせる原動力になり、貧困だが将来に明るさが期待できる環境で勉強できたのは運が良かった」と述懐している。
 今、沖縄は、将来に明るさが期待できないように見える。それを憂う若者がどのくらいいるだろうか。地元の大学で行われる基地問題を考えるシンポジウムに学生や若者の姿が少ないのが気になる。辺野古新基地建設問題が正念場を迎えている今、「仕方がないさあ」と諦め気味の現実に甘んじる若者たち。人ごとのように基地問題に関心がない若者たち。戦争に加担する基地の島に成り果てた故郷に疑問を抱かず他力本願的な若者たち。
 今こそ、沖縄の未来を真剣に考え、大志を抱く若者らが集う沖縄版松下村塾の再来を、と切に思う。
(鈴木多美子、バージニア通信員)