『煩悩の子』大道珠貴著 「子どもは純粋」だなんて誰が決めた


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 子どもというのは純真無垢で、何も考えず無邪気に駆けまわっているものだ、という浅はかな不文律を蹴散らす快作である。主人公は小学5年生の女の子「極(きわみ)」。身体が大きくて、笑うのが下手で、いじめられてもそうでなくとも、クラスメートとは何らかの距離に隔てられており、それは他ならぬ彼女の「思考」のシニカルさや客観性によるものであり、その「思考」を私たち読者はいくつもいくつも聞かされる形で、物語はすすむ。

 と言いつつ、本文は一人称では進まない。「極」の思考を、あくまで第三者として書き手はつづる。そのことが、この本のたやすくない均衡を保っている一因であるように思う。自分を悲劇のヒロインにしたり、あるいは何らかの自己陶酔に陥らせてみたり、女の子にありがちなそういった気質を「極」は持ちあわせていない。
 じゃあ彼女の思考は何でできているのか。観察である。級友や担任教師、親たちのことを、彼女は一歩ひいたところから眺めてとらえる。そしてそれらを踏まえて、この世界の感触や歩き方を体得していく。だから、どきっとする言葉がたくさん出てくる。大人たちの本質をずぶりと刺してくる。
 何だこの子、えらく鋭いなあ、と感心しながらふと我に返る。あ、そういえばこれって大人が書いてるんだっけ。そんなことも忘れてしまうくらい、書き手と「極」の呼吸は近しい(ように思える)。読み手と「極」の間には誰もおらず、一対一でただ「極」の考えを聞かされているような気がしてくる……いや、違うな。「極」はそんなに無防備なことはしない。
 「極」が感じていることが、何も介さず、ただ脳内に流れてくるような感覚。そこから読み手は悟る。かつては自分だって、こんな感じだったじゃないか。友だちの自分に対する態度に一喜一憂したり、クラスからふるい落とされないように必死でしがみついたり、嫌な考えで頭がいっぱいなのに何も考えてないみたいな顔をしたり、そういった日常の全部に疲れるんだけれど他に心のやり場がないから途方に暮れたり。
 「子どもは純粋」だなんて誰が決めたんだ。邪念だらけだ。何がいけない? ……潔い。本書の文体は実に潔いのだ。彼女はこれからどんな中高生になり、どんな大人になるのか、彼女の人生を追いたい気持ちに、今、無性に駆られている。
 (双葉社 1300円+税)=小川志津子
(共同通信)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。

煩悩の子
煩悩の子

posted with amazlet at 15.06.08
大道 珠貴
双葉社
売り上げランキング: 134,897
『煩悩の子』大道珠貴著
小川志津子