本書は、仲里効氏が自ら監修に関わった〈沖縄写真家シリーズ〉などの解説や、近年に発表した論考を一冊にまとめたものである。
副題は「沖縄とまなざしのポリティーク」。さて、ここでのポリティークをどう読めばいいのか。ポリティックスではないから、政治にとどまらない分別、つまりは、理性的な判断と読もうと思う。
このように、言葉の意味を吟味することを強いられるように読むことになるのは、こちらの素養の無さもさることながら仲里氏の文体の特長であり、独自の構造を立ち上げようとする氏
の言葉で言えば〈文の闘争〉の武器の一つであろう。
どの節も仕掛けが満載で、引き込まれるが、第三部の「ヤポネシアはどこへ行った-播種、騙り取り、そして越境するEXO」をまずは、紹介したいと思う。
ちなみに(はしゅ)、(かたりとり)、(エグゾ)と読む。
わたし自身も、その地政学的な空間の連なりに眼を開かされた一人だが、「ヤポネシア論」から啓示を受けた沖縄のインテリゲンチァ3人と生みの親である島尾敏雄氏を囲んでの座談会をきっかけにそれぞれの「ヤポネシア」のズレを丹念に解き明かし、生まれながらの旅人エグゾット・島尾敏雄氏が「なるべくならもう使いたくない」と遠ざかっていく推移を追う様は、スリリングでさえある。
ページは前後するが、第一部の「記憶の地図の測量士」とは、大城弘明氏のことで、わたしと歳(とし)が同じなので脳裏の風景が重なるところもあり親近感を持って読んでしまうのであった。
エンプティー(空っぽ)な場所性だけが感じとられる、大城氏の一家全滅の屋敷跡の連続写真は、まさに「その〈非在感〉が写真にしかできない固有な言語で提示されている」のである。
なお、本書カバーの写真は仲里氏のもので、外すとさらにお楽しみ。
自らもファインダーをのぞき込む仲里効氏は、まなざしの地平の開拓者であると言えよう。その力量に拍手を送りたい。(能勢孝二郎・彫刻家)
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なかざと・いさお 1947年、南大東島生まれ。法政大学卒。批評家。1995年に雑誌「EDGE」(APO)創刊に加わり、編集長。主な著書に「悲しき亜言語帯」(未來社)、「フォトネシア」(同)など。
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