記憶と忘却めぐる物語
老執事の回想『日の名残り』で英国最高の文学賞ブッカー賞を受賞した日系人作家の10年ぶりの新作長編。作品ごとに物語のジャンルや設定を大きく変えてきた作家が新たに選んだのは、中世イングランドを舞台にしたファンタジー。つまりアーサー王伝説に連なる魔法と騎士の物語、あるいはドラクエなどのロールプレーイングゲームでおなじみの世界だ。
離れて暮らす息子に会うために旅立つ老夫婦の道行きが描かれる。悪鬼にさらわれた少年、異民族の屈強な戦士、アーサー王に仕えた老騎士らとの出会い。妖精や竜が登場し、修道院からの脱出劇や兵士との戦闘が繰り広げられる展開は「こんなに面白くていいのか」と戸惑うほどのエンターテインメントぶりだ。
絶妙のストーリーテリングで引き込まれながらも、物語が進むにつれて奇妙な作品世界が徐々に姿を現す。登場人物の記憶は実にあいまいで、過去のことをはっきり覚えていないようなのだ。記憶の底から浮上しては見え隠れする過去の因縁が謎かけのようにちりばめられる。
かつてこの土地では2つの民族による戦争があった。以前、夫婦の間には深いいさかいの種があった。忘却の霧に覆われることで、ひとまずの平和は保たれているが――。
背後に普遍的なテーマを深く響かせて、通常のファンタジー作品とは全く異なる異様な読後感が残る。『日の名残り』『わたしを離さないで』のように本書も映画化されるだろう。配役を考えるだけでワクワクする。
(早川書房 1900円+税)=片岡義博
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片岡義博のプロフィル
かたおか・よしひろ 1962年生まれ。共同通信社文化部記者を経て2007年フリーに。共著に『明日がわかるキーワード年表』。日本の伝統文化の奥深さに驚嘆する日々。歳とったのかな。たかが本、されど本。そのあわいを楽しむレビューをめざし、いざ!
(共同通信)
早川書房
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