『世界は終わりそうにない』角田光代著


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角田光代だから成立すること
 久しぶりにこういうタイプの本を読んだ。
 基本的にはエッセー集なのだが、真ん中に、作家や映画監督、評論家などとの対談・鼎談が複数挟み込まれている。エッセーにしても、方々の雑誌で連載したものに加え、文庫本の解説として書かれたもの、文芸誌に依頼されて執筆した(のであろう)書評などが混在している。

 10年くらい前まではこういうスタイルの本はけっこうあった。その作家がある期間の中で書いた様々なもの、口にした言葉などを、それほど明確に一冊の本としての方向性を定めずに集め、編んだ本。そこにおける編集方針は少し乱暴な言い方をすれば、作家自身の言葉であること、となる。
 なぜこの手の本が少なくなったのかについて、元編集者の私としては自分なりの解答を持っている。
 商品として売りにくいからだ。
 小説はもちろん分かりやすいが、エッセーにおいても、一冊の本として「訴えかけていること」が見えた方が売りやすい。メッセージとまでは言わないし、作家自身に「訴えている」という意志がどこまであるのかは場合によるのだけど、少なくとも本全体としての主張みたいなものがカバー、帯、目次などから匂いたってくるようでないと、その作家の熱心なファン以外には、読みたいと思ってもらいにくくなるものなのだ。故に広がりにくいし、売りにくい。
 しかし私はこういう、とにかくいろいろ集めましたという感じが好きだ。実のところ編集者と作家の間で厳密な取捨選択が行われているとしても、出来上がった本として、スマートに収まっていない感じが愛おしい。
 エッセーの書き言葉と、対談の語り言葉はもちろん違う。同じ著者の手による文章でも恋愛エッセーと先輩作家の文庫解説では、文体のテンションは異なる。その違いの向こうに、いままで知らなかった作家の一面が垣間見えるような気もするし、ページや企画をまたいで繰り返されるフレーズには、作家を作家たらしめている核のようなものの存在を感じる。
 つまり作家本人のことがもっと好きになってしまうのだ。
 そして私は尊敬している角田光代さんのことをまた、より、好きになった。
 どこのどんなページを読んでも、角田さんは微塵も偉ぶったりしていないし、書いている対象や話している相手へ、さらりと、でも最大限の気を使っている。自分は面倒くさがりで、きちんとできない人であると繰り返しながらも、作家という仕事においては常にどっぷりと悩み、真摯に向き合い、書けるかどうかわからないことに挑戦し続けている。自分の恋愛話を一定の品を保ちながら開けっぴろげに語り、そこで得た教訓があっても上から落とすようなこともせず、あくまで読み手と目線を合わせたところで、共有しようとしてくれる。
 知れば知るほど、「作家・角田光代」はすごいと思う。お酒をたくさん飲むこととか、すぐに道に迷うこととかも含めて魅力的だ。
 寒い話ばっかりの小説業界の中で、角田さんのこういう本が発売されているという事実もうれしい。角田さんだから、でもあることが、うれしい。
 (中央公論新社 1400円+税)=日野淳
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日野淳のプロフィル
 ひの・あつし 1976年生まれ。出版社で15年間、小説、音楽、ファッションなどの書籍・雑誌の編集に携わり、フリーランスに。今、読む必要があると大きな声で言える本だけを紹介していきたい。
(共同通信)

世界は終わりそうにない
角田 光代
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