『鎮魂の地図』 物言わぬ人々の叫び撮る


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『鎮魂の地図』大城弘明著 未來社・2800円+税

 僕たちの世代は、明治・大正生まれの親達の価値観と、戦後の新しい価値観の両方を合わせ持ち、戦争を体験した親たちを1世とすると、僕たちはその2世である。戦前と戦後の接点に立っているのが僕達の世代である。うぬぼれるようだが、2世は1世の遺伝子を確かに受け継いで、親たちの体験も体に染みついている。

 戦争体験はない。しかし、数多くの体験を見聞することで2世の視点から沖縄戦を相対的に捉えることが可能なのだと思う。その証しに、同世代の大城引明氏の本書は、戦争の傷跡に対峙し戦争への怒りと亡くなったものへの哀惜の念にあふれている。
 米須あたりの「消された地図」、一家全滅の空き屋敷を訪ねたことがある。沖縄戦は「壕」などが定番であると思っていたが、この「空き屋敷」もまた、沖縄戦を記憶する「戦跡」なのだと、本書であらためて思い知らされる。
 実際の空き屋敷の現場に立つと、車などの雑音も聞こえてくるのだが、この「鎮魂の地図」は「沈黙の地図」なので、想像力をかき立てられて沖縄戦の実相がよみがえってくる。沈黙の写真の前で言葉を失い、ただ立ち往生するばかりだ。「何もない目眩(まい)」に襲われる。
 「沈黙は金」とは言わないが、静かに耳を傾けると物言わぬ人々の嘆きや叫びが聞こえてくる。戦争がなければ今頃、この家屋敷も孫達の歓声に囲まれていたのではないか、戦争は、代々続いたこの家の歴史までも抹殺したのだ。仏壇の「ヒジュル元祖」が泣いている。
 「戦後」から「戦前」に回帰しようとしている今日、それを止めようと旗を振る人、熱弁を奮う人、新聞に書きなぐる人、人それぞれが踏ん張っている。だが、いくらハチマキを締めても拳を振り上げても、事態を止めることが出来ない、もどかしさや虚しさ。
 しかし、この時にこそ、70年前の沖縄戦を抱きしめ、それが今を生きる沖縄のモノサシなのだ、そしてそれこそが、沖縄の力の源ではないか。と「鎮魂の地図」は、主張している。
 (大城和喜・元南風原文化センター館長)
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 おおしろ・ひろあき 1950年、三和村福地(現在は糸満市)生まれ。72年、琉球大卒。フリーカメラマンの後、沖縄タイムス社編集局写真部に勤めた。2010年、同社を定年退職。

鎮魂の地図: 沖縄戦・一家全滅の屋敷跡を訪ねて
大城 弘明
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